QTaka

ポルトの恋人たち〜時の記憶のQTakaのレビュー・感想・評価

3.3
柄本佑を見てきた。
彼の目は、この映画でも多くを表現している。
それは、ト書きなのだろうか?せりふなのだろうか?
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特に、この映画で演じている二役のうち、一人は声が出ない役だ。
そのため、ボディーランゲージと共に目で語る。
去年の「きみの鳥はうたえる」でもそうだった。
この目の表現が実に雄弁なのだ。
その表現が本作でも良く現れていた。
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本作は、18世紀のポルトガルと21世紀の日本を舞台にしている。
二つの時代を奇妙な繋がりで結んでいる。
人と人の愛憎の関係と、ヒエラルキーの中の振舞いの問題をそこに絡めている。
一方で、両時代に共通のテーマとして、労働と身分の問題を取り上げている。
その時代、その場に有っては、問題を問題として捕らえることすら困難な問題でもある。
「しょうがない」という言葉で済まされてしまい、従うことに納得させてしまう。
抗うことの出来ない、絶対の価値観として有るとしたら、はたしてその問題にどう立ち向かうのだろう?
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18世紀のポルトガルで、人の上に立つと言うことの意味はどうであったのか?
映画で演じられた貴族は、人として問題を抱えていたが、その時代に有ってはその問題は見えてこないのだろう。
使用人は、奴隷であって、私有物であって、殺しても構わない、などということに異を唱えることは出来なかった時代なのかもしれない。
それ自体が悲劇であり、その周囲にもその悲劇がもたらされることになる。
この前半パートが、なかなか雰囲気が出ていて、面白かった。
この時代のポルトガルについて何も知らないけど、でもそういう時代と雰囲気なのだろうと感じられた。良かった。
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現代の日本の場面は、外国人労働者の現場となる。
実は、この外国人労働者の現場がどうなっているのかあまり知らない。
低賃金、重労働などということがまかり通っているのかもしれない。
あるいは、雇用の安定性についても担保されていないのかもしれない。
はたして、そのような状況を許していいのか?という問題である。
この不安定な状況で、日本人と外国人との間に上下関係が生まれてしまう。
それは、映画の前半で見せられた理不尽な18世紀ポルトガルと同じに見えてくる。
つまり、そうして今の日本を露にしようという構成なのだろう。
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はたして、この映画をラブストーリーとして、あるいはタイムスリップ物として安易に見て良いものだろうか?
私には、そう思えない。
現代ポルトガルの風景は、とても魅力的な街に見えた。
一方の日本だって、表向きには、自由と平等の平和な国だ。
ただし、見えている範囲内では、ということだ。
映画の中の日本は、東京オリンピック以後のことであるから、これから数年後の世界である。
そこも、タイムスリップ的な要素なのだけれど、どうも昨今の情勢を見るに、本当にこの先、オリンピック後の日本は、明るくないかもしれない。
はたして、その明るくない未来を漫然と待ち受けるのか?
ちょっとそのお祭り騒ぎから距離を置いて、冷静に考えて見る時ではないだろうかと思わせてくれる映画だった。
私たちは、今、どんな時代を生きているのだろう?
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