ニューランド

母のニューランドのレビュー・感想・評価

(1929年製作の映画)
4.4
✔️🔸『母』(4.4) 及び🔸『花籠の歌』(3.6)▶️▶️

 高峰秀子生誕100年特集かぁ、と新館長のやったことと言えば、メインホールを外国風のヘンテコなネーミングに変えたくらいで、その無気力さは歴代の中でも際立ってきたを、改めて実感。しかし、作品個々は扱う人間のだらしなさとは、別に屹立している。
 高峰が少女期、おしゃまか健気かの脇役として光っていた松竹時代の、巨匠・名匠の監督作。日本の映画的空気そのものの作風で、定番めで驚きとは共に無縁な作風ながら、まるで違う、対照的アプローチ。作品の4割方は失われ、画質も著しく劣化した芳亭のサイレント作は、彼が特別のストーリー、特別の俳優、特別の視覚的美や頑健がなくても、仮に対象物の数や量が限界を切ってても一台のカメラの角度・動かし方・位置の絡ませ繋ぎで驚くべき世界の創造を成し遂げられる事の証明してる。映画自体の勝利。寄り・望遠というより構図の一部をインラージしたような粗い力の寄りカットの味と生々しさ、90゜変の確かな抑えとその斜め変のリアル沿い感、二人や2群の揃い方や向き合う横からのFショット(数増減対し正面切返しから)、俯瞰めや低め・争いへのフィットも忙しなさ無く迷わず沿い極める。正対リバースもあるが横に付いてる者との切返しの巾取り残ね為か斜めめにすぐ変わる、その斜めめ寄り図の切返しの懐ろと同時に節度も厳しい。縦や横のフォローやパン・寄る・部分足もとおらの移動も自然体で柔軟・重力もあるが、距離おいて向き合った二人を廻るめの含み持ち横移動して逆の縦め図に変移してるルノワールばりの楕円回転入れなのもある、しかもカメラワークは中に嵌まり浮き上がらない。基本シンプルな室内が多いが、邸内居間・池のある庭園・人の押し寄せる薬局店・横浜からの大型客船らも偉容を見せながら映画の筆先にしっくり収まり一般シーンとの境がない。際立ったうねりのない何の変哲もないありきたりの話にキャラも自分に忠実なだけのはみ出しの無さ、しかし遺されたものは映画そのもの、その根幹と豊穣張り詰めの、自然体の無理のなさ。まさに目前に意識するテーマや素材、何も無くとも、フィルムという媒体さえあれば、それを内的に動かし掛け合わせ繋げることで、深い真実の存在を、何でもになり得る形で描ける。表現という行為と希求だけがもたらす成果と勝利。松竹大船(蒲田)を作った撮影所長としての評価が主で、作家主義以前の遺物扱いの監督だが、見た十本くらいが、全てに最上の映画の更なる泉のもと、核の確実に存在するを、気付き直される。ルノワールにも匹敵の存在だ。
 家族の反対を押しきって一緒になった二人。男女一人ずつ子をもうけるも、必ずしも内的幸せにも届かないうちに、30代後半で夫の死。経済的困窮に知り合いの教師が、豊かな屋敷の使用人のクチをみつけ繋げてくれる。ヒロインの姿に満更でもない主人の他は、妻・執事・年と性の同じ二人の子は使用人風情を徹底して差別化し、子らの正しさと尊厳をうちこわす。与えられてたうちを捨て、新たに間借りしたも、の所へ一流企業の重役が、会社が担保から得た、メイン薬局の店を任せてくれる。快調もその重役の厳かながらの求婚にひとりでブレなく子供を育て上げるが全てと丁寧真実に断ると、下心が表されてくる。一時期共に働いてた客商売の女が助力してくれる、毅然と。長男が嘗ての屋敷の長男の落第に対し、真摯な勉学向かいから首位入学の喜びと、縁がなかったとわかった店を畳む中、今度は教師からの求婚も同じ理由で断ると子供たちとも壁無かった男は、互いの揺れを抑える為にも2度と会わぬを約してくれる。互いに相手の側を心底想い合う、意地らしさ。が、その教師の渡米の日、悪化してて一度は禁をおかし見舞ってた、ヒロインの体調が再急降下、危篤に瀕す。長男の電報で船降り駆け付けた教師は、臨終には間に合わなくも、子供たちの保護・未来と幸せ達成を暗さ祓い真っ直ぐ約す。
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 一方五所作品は、同じくというか、更に特別な波乱なく、その中の気取りない至福を伝え合い呑気に育む希望を捨てることのない、よりめでたく、飾りない市井の人々を描いた掌編だが、こちらはカメラの能動性より、細部迄存在する意味と愛おしさを作り上げた、セットの配置と細部存在性・背景書割・小道具・メイクと衣装・キャラ・場の明暗度をそのままに定着させ、カメラはその時と場の部分部分を切り取りより馴染ませるだけだ。振られるキャラも侭消えたり・本来の繋がりを再暖めするだけで、捻ねたり・ワル化等とは端から無縁。カットは構築醍醐味より、優しくキャッチボールし、それをより当事者だけの意味を強めるだけだ。縦横のカメラ移動はあるが、主導はせず数を抑え控えめに、その場の馴染みと定着だけにはたらく。
 下町の繁盛してるトンカツ屋、看板娘の長女、女学生の次女を抱える父が、不法乗船スタッフで急死妻を充分に供養できなかった悔いで下船し始めたものだが、名トンカツ揚げの台湾人の腕とその長女を想う熱い心が最もはたらいてた。しかし、長女は、それまでの女遊びも止め最近通い来る、田舎の実家では行き場ない学生と互い口出さずも心底相思相愛だった。二人を取り持つは、実家住職継ぎが既定路線の、バンカラな親友学生で、最終押しもする。叔母の推す名士縁談も奇手使わず、強気もなく脇に押しやる。しかし、彼の軽い言葉を信じてた台湾人は、力失い、真意を告げきらず関係壊さず去る。店は左前も、大学卒業へ向かいつつ、女性関係の疑いも晴らし、只、真っ当まっしぐらでブレない義理の息子に、次は絶対スキヤキと、楽観能天気侭の父。
 ビッチリ名優群・ノッてる役者らの配置の理屈越えたコラボらが気負わぬ神業並びだが、戦後と違いおきゃんで押出しいい絹代、屈折ひとりアップダウンも人の良さ変わらずの徳大寺、そして、動かぬ流れを結果動かしてく、痛快爽快豪快、かつ意図せぬ捌き軽妙の、役者人生最高のナイスガイの笠、が特に印象的。
 これ程の、試練もそう扱わぬ、無理のない映画の至福、二本立てちとない。
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