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ローラのnetfilmsのレビュー・感想・評価

ローラ(1961年製作の映画)
4.4
 「泣ける者は泣け、笑いたい者は笑え」という中国の諺。夏の日のある木曜日の午前中、大西洋に面したロワール河の辺りにある港町ナントに白のキャデラックが停車する。車の外に出て、穏やかな流れのロワール河を見つめる男の姿。しばらく波を眺めた後、男は勝手知ったるナントの街をアメ車で闊歩するが、アメリカ軍の水兵の列を誤って轢きそうになる。男はアメリカ兵の罵倒の言葉にも一切応じる様子はない。一方その頃、ロラン・カサール(マルク・ミシェル)はまたしても寝坊をし、会社の業務に支障をきたす。「ナヴァル」の女主人クレール(カトリーヌ・リュッツ)は呆れた表情で、「もう2時ですよ」とロランに問いかける。父親のコネで入社した会社、3日間の研修期間中に実に5度もの遅刻を繰り返すロランに社長はクビを言い渡す。「ナヴァル」の常連客で、いなくなった息子ミシェルの姿を追い求めるジャンヌ(マルゴ・リオン)は街でミシェル(ジャック・アルダン)を見たという近所の人の目撃談に目を輝かせる。朝方、ミシェルのキャデラックに轢かれかけたアメリカの水兵フランキー(アラン・スコット)は、暇を持て余し同僚たちとキャバレー「エルドラド」に涼みに入る。そこにはフレデリック夫人(イヴェット・アンツィアニ)に雇われた看板歌手兼踊り子のローラ(アヌーク・エメ)がいた。ガッチリとしたアメリカ兵の姿にシングル・マザーのローラは身を任す。幼い1人息子イヴォン(ジェラール・ドゥラロシュ)を抱えるローラには7年前に「大金を稼いで来る」という言葉を残し、この街を去った愛する夫ミシェルの姿があった。

 カイエ派の神童と呼ばれたトリュフォーに対し、ヌーヴェルヴァーグ左岸派の神童と呼ばれた天才ジャック・ドゥミ30歳の恐るべき長編処女作。父親の仕事の都合で幼い頃からアメリカへ渡っていたロラン・カサールは父の死後、モラトリアムで怠惰な生活を送っていた。文学をかじり、将来への漠然とした不安を抱える主人公の胸に去来するのは、15年前の初恋の相手であるセシル(現ローラ)との淡い幸せな日々に他ならない。男は常に過去の栄光の日々に郷愁を抱くが、女は既に子供を生み、オペラ座のダンサーになるという幼少期の夢を無残にも捨て現在に生きている。『天使の入江』のヒロインであるジャンヌ・モローを思わせるようなアヌーク・エメのファム・ファタールぶり、それに翻弄される3人の男たち。祖国を捨てた青年実業家、いよいよ祖国に帰ることの出来る帰還兵の対照的な描写、そこに挟まれるようにアメリカから生まれ故郷のナントに帰国した主人公は、出自の鎖とセシルへの淡い想いに囚われて身動きが取れない。キャバレーのダンサーに身をやつしながら女は7年間、夫の帰りを辛抱強く待っている。しかしイヴォンに理想的な父親が必要だと感じるヒロインは、母国の男性ではなく他国の男に身を委ねる。アムスからヨハネスブルグへ、美容室の危険な誘いに乗りかかるロランの元に運命の女が15年ぶりに現れ、主人公の心を掻き毟る。2転3転する極めて文学的で先の読めない物語展開、そしてセシルの名を冠した2人の女が主人公とライヴァルの感情を真に対比させる。だがそこには3人目の男の影がちらつく。

 当初はカラーのミュージカル映画として想起され、クインシー・ジョーンズに任せるはずだったスコアだが出資者は出て来ず頓挫する。だが簡単に諦めないドゥミの製作費のシュリンクを逆手に取った新進気鋭の作曲家ミシェル・ルグランの起用、ゴダールの肝煎りにより指名されたラウル・クタールのモノクロームの流麗なカメラワーク、クライマックスのゴーカートの場面の筆舌に尽くし難い素晴らしさ。全てが完璧で新鮮さに満ち満ちた物語は当初、本国フランスでも正当な評価を得ることはない。しかしながら現代においてその価値は日に日に高まりを見せる「ヌーヴェルヴァーグの真珠」と呼ばれた幻の傑作である。
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