くもすけ

リバー・オブ・グラスのくもすけのネタバレレビュー・内容・結末

リバー・オブ・グラス(1994年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

舞台はライカートの育ったフロリダマイアミ。「フロリダプロジェクト」で描かれたような、なにもない湿地の野原。
ライカートの父は犯罪捜査官、母は麻薬捜査官、幼い頃離婚しており、ライカート30歳目前のときの作品というから自伝的な要素が入っいてるといえる。

郊外の主婦が子供を取り上げられて、あわよくば誰かに連れ去られたい、そんな夢想を、これでもかと貧しく裏返す。靴も買えない、モーテルの支払いもできない、あげくハイウェイの料金所で25セントさえ捻出できない。

この後撮るもっと無駄のない、登場人物も極端に少ない作品と違い、地元民のしょぼくれた見栄や暇つぶしや無駄話に耳を貸し、プロットに昇華しきらない生活の断片を点描する。レコードのジャケットを順番に写したり(ビバマリア!)、空き巣に入ってレコードかけて踊ったり、無駄に動物出したり(なんだあの理由と説明)、いつも仏頂面なライカート作品に比べてサービス満載。

サーカスの母、ドラマーの父、彼らのポートレートは並べられるだけで互いに繋げられることもない。ふと思い出されるピクニックの記憶でも家族はバラバラにされ、それに答えてリーが親の2度目のハネムーンについて語り継いで、喪失を通してだけつながる親密なひとときを見せる。

製作に参加した「アンビリーバブル・トゥルース」の面影を感じさせるが、もっと自由に動いていて、なによりキレてる。
ライカートが自作を形容して言っている。道なきロードムービー、愛なきラブストーリー、犯罪なきクライムストーリー。