せいか

ユー・ガット・メールのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

ユー・ガット・メール(1998年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

文字通り、二人は幸せなキスをして終わる恋愛映画。なのだが、資本主義社会の歪みを町に現れた大型書店と、長らくそこにあった小型書店を通して描いてもいたおもしろい作品だった。決して夢見心地のふわふわしたラブストーリーではなく、人と人との交流も描き、主人公たちもその社会の中で柔らかく一歩を進んでいく物語でもある。


ラストはなんかええ感じに終わってはいるけど、めちゃくちゃゴリゴリに現代の資本主義社会への皮肉はこもっていて、あの町の住人たちも大企業のお偉いさんがこともなげに言ったように、表面だけ賢いふりをしているのような(そしてそれに気がつきもしない間抜けな)人たちなのよな。自分たちの手元にあったものの価値も分からないのに。そういう実態を、郷土資料の在庫は(薄っぺらな)大型書店にも入れておけばいいのさという話を通して滲ませるのである。繁盛して理想の本屋の姿になっていたよう(に見えるだけの)シーンもすごく怖いものなんだよなあ。
ヒロインが雑誌のライターに転向するようなラストだってそういう商業主義だとか表面的均一的な受容への迎合だとかになっていて、あくまで本と人の関係からあの作品を観たら超絶バッドエンドなのよ。
昔は手紙による文通だったものがメールによるそれに変化していたり、社会のニーズの変動が細かいシーンでも徹底して手ひどい形で描かれていたように、時代の流れを捉えた作品でもあるのよな。そして人々は自分たちが何を選択しているつもりになっているのかも分かっていないで欲望のママに進む。そういう意味では恐ろしい作品。

パソコンが一般家庭に登場し始めたころのアメリカが舞台。主人公とヒロインは互いの素性を全く知らないメル友で、相手と通信するのを楽しみにして過ごしている。
ところが実は、ヒロインは家族から継いだ町の小さな本屋(絵本など児童書専門)を営んでおり、主人公は大型書店を手掛ける家の御曹司で、ヒロインのいる町に新たな書店を建てもするため、二人は明確にライバル関係にある。
それで、何せ互いの素性を知らないのだから、実際に顔を合わせるときは争いが絶えないがネットの世界では仲良くメールを送り合うような二重の関係になりながら話は展開していく。


恋愛映画というよりも、本屋か図書館がからんでくるらしい話として認知していたので観ることにした作品。恋愛映画とか興味ないタイプなので、なんか甘い感じになる度に辟易とはしていた(冒頭のメールのやりとりからそうした甘さはあったので、このまま最後まで観られるのかとやや不安になったほど大して好きではない)。
あと、見始めてから気付いたが主役二人は『めぐり逢えたら…』の主役二人でもある。あれもあくまで時間SF作品として興味を持って観たことはあったが、結果、シナリオとしてモヤモヤしつつも胸焼けを起こしていた記憶がある。
そんな感じで初めこそ不安感が強かったが、観ているうちにシナリオの良さに気がついたので、結果、かなり楽しんで視聴できた。


冒頭間もなく、父の再婚相手の幼い子どもたちの面倒をみることになった主人公がたまたまヒロインの本屋の読み聞かせ会を訪れるシーンがあるのだが、絵本ではなく児童書を音読する(絵を見せるなどはない)ヒロインをたくさんの子供たちが取り囲んで楽しげに空想の世界に浸っていたのが印象的だった。そのあとも小さな店内に子供たちが溢れて本に触れていたり、店員も客の手荷物(生きた金魚)を当然のように預かってゆっくりさせていたり、とにかく人と本の空間としてかなり理想的な世界があった。
本作では資本主義社会の効率化の中で、ヒロインが営んでいるような小型の小売店と、主人公が営んでいるような大型の小売店(しかもディスカウント方式。ちなみに彼の企業はあらゆる種類の商品で同じように大型店舗で安く叩き売る手法を用いているらしいので、数多くの町の小売店を一掃してきたことが伺いしれる。あと、カフェも併設しているので、あっ……って感じである)の対比にも着目しており、町の小型小売店を駆逐する大型小売店の存在を視聴者にも意識させるようになっている。このへんは本屋に限らずあらゆる小売業で現在もまだまだ問題視されている点であるが(なおかつ現在では通販の脅威もプラスされているのだが)、本作でそうしたテーマが触れられるとは思っていなかったので、なかなかうれしい誤算だった。そういう暗い経済の話、好きなので……。
大型書店が近所にできるのを知ったときにヒロインが、でもあっちは本のことはきっとろくに知らないような連中なのよとこぼすのもなかなかくるものがある(実際、ヒロインの本屋はその分野に関しては素晴らしいほうに偏ってるのだろうとは思うが)。これをきっかけに一帯が本を買いに来るならこの町に来ればいいってなるとすてきよねとか日和見なことを言っていたのもなかなか印象的である。
   → 開店当時には主人公側の人が、開店に当たって何らのデモなども起きなかったと喜んでいたのも闇が深い。市民も書店も何らの危機感を未来に感じていなかったか、感じていても手を打たなかったのだなあ。このへんも現代と地続きの因果応報の側面を描写していると思う。
   → あと、大型店舗開店に合わせて自分たちが潰した小型書店から本を買い取る描写もあったが(セリフだけで説明されるのみだが)、まちの歴史に関するものなど郷土資料系を充実させた一角を作るつもりだと主人公が言うと、祖父だったか父親だったかが、町の住民は底の浅いインテリもどきだから、そういうの作らないとなみたいなことを言っていたのだが、このへんも他を蔑ろにして成長してきた企業人が言うドライさが詰まっていた。余談だが、その町に関する資料を充実させることって、書店にしろ図書館にしろ(特に図書館)かなり重要なことで、ここを軽んじているところに彼らの傲慢さと本や知識、歴史、文化に対する認識の甘さが出ていて、うまいなあと思いもした。
他にも近所にはミステリ専門の小型書店などもあるらしいことが触れられていたので、アメリカって(かつてはという過去の話になるのかもしれないが)、そういう、何かの分野に特化した小さな書店というものが割と珍しくはないものなのだろうか。自分が住む京都市内を例に考えてみると、京都にもそういう(新書で)専門性の強い書店はぼちぼちとありはするが、あまり町にとって親しみのある存在となっているかというとかなり微妙そうな気もして、ちょっとアンニュイな気分にもなる。本が身近に親しさを持って息づいている空間があるとは羨ましいことである。

ヒロインの彼氏が記者で、こうした大型店舗が持つ問題を取り上げたところ、これがきっかけで瞬く間に町の中に革新が起こる。メディアは町の小型書店に注目し、人々も閑古鳥を鳴かせて無視していた店に押し寄せ、大型書店の前では子供たちを中心にしてデモを起こすようになる。このへんのテンポのずれた「正義感」の目覚めの気持ち悪さも絶妙に皮肉を持って描いているのがいい。おれそういうの好きだ。しかもそれでも店の売上に繋がらないような点もしっかり描かれている。このへんの描写がとにかく本作、やけに丁寧である。本当にうれしい誤算である。
   → 閑古鳥が鳴くようになると、恩着せがましく心配してみせた作家が途端に大型書店でサイン会をやるようになるのも(これまでは伝統的にヒロインの店でやっていたのに)毒が強かった。
   → ところで、新聞記事にヘロドトスがこの世界のことを「幸福の地」と呼んだと触れる一文があるが、何のことだろう? ヘロドトスと幸福といえば、死ぬまでは幸福ではないとかそんな箴言めいたものがあったのを思い出すくらいなのだが。エリュシオンか幸福の島あたりの話か?
報道の中でヒロインが改めて、あっちは本に詳しくないから(併設カフェの)コーヒーで穴埋めしてるのよ。フォックス氏は言っていたわ、本もオリーブオイルも一緒(=品揃え良くして安くで叩き売る大型店舗手法のこと)だとと言葉を変えて繰り返していたが、日頃大型書店の(特に某書店の)カフェ併設店舗には少なからず私もそう思うところがあったので(正直これよりひどく思っているが)、それなという気持ちになりはしていた。
経営不振は歯止めが利かず、ヒロインは店を畳むことを決意する。このやりとりの中で、ヒロインがうっかりとはいえ(文通相手に会うためのおしゃれで?)市長選の投票をしなかったこと(=おしゃれを優先したこと)だとか、店を手伝うおばさんがインテル株で大儲けしたという話が出たり(=株の仕組みも資本主義社会の代表だろう)、相変わらず、政治・経済への毒はこうした細部でも強い。
閉店セールをするや途端に客はレジに並び、思い出語りをする者も現れるが、そういう善意の人も結局この土壇場に自分の思い出のためにやって来ただけで、閑古鳥が鳴いていたころに訪れはしなかったのだろうことが伺える。きつい。実際、店が閉まるころには正義ごっこもきれいさっぱり消えていたし、その人たちはたぶん、町の書店としてあの大型書店を利用してもいるのだろう。つらい。そして有能な元店員は憎き大型店舗に吸収されていく。つらい。

文通相手と直接会うことを(男のほうから)求めて、いざその段階になると相手女性の容姿の美醜を気にしていたり、このへんも残酷なものである(その心理が分からないわけではないが)。美しく清く文面だけの関係であり続けるということができないもんなんだなあ。それをしていたら別の作品になってしまうのだけれども。

主人公のほうが先にヒロインが文通相手なのに気付いて慌てふためき、身を隠しつつ、手紙の上では真摯に振る舞うのだが、彼らが文面上で、嫌いな相手に嫌みを思いっきり言えても、言った途端に後悔してしまうものだなあと語り合うのがよい。
あと、ヒロインが恋人と別れる時のくだりもいい。気まずく互いに互いを尊重しながらももはや恋人としては愛していないことを伝え合うくだりとか、そのシーンの、窓から暖かい日の光が射すカフェの景色とか。

ヒロインは夜にふらりと大型書店に入るが、ここでは人々がゆっくりと本を吟味し、カフェで語らい、自分の店よりもはるかに広いスペースが割かれている児童書のコーナーでは子供たちが寛いで本に触れている、本屋としての理想の姿を目の当たりにしてしまう。実際、店舗の雰囲気はヒロインの店よりも親しみには欠けるがなかなか良い。
まさかここで大型店舗賛美に偏るのかと僅かに脳裏に過るが、店内をぼんやりと眺めるヒロインの背後でレファレンスの様子が聞こえてくる。客の女性が曖昧なキーワードで友人が娘に読むのにおすすめだといった本を尋ねるが、店員は対応できずに戸惑う。そこで彼女がさくっと答えるのである(とはいえ、「靴」というお題目だけでよく的確に「ストレットフィールド(※作家の名前)よ」と絶対値で答えられたな……)。でも、彼女も言うように絶版の本らしい。いろいろ推察の上でその答えを出したのだろうが、本当に合っているのかは不明である。回想から伺い知るに、ヒロインの思い出の本であるらしいし。
主人公の彼女は、ヒロインの店が閉まることがかなり話題になっている(それでも誰も存続のための客足にはならなかったんかしら。マスコミ的には手は貸したなのでしょうがとか少しだけ思いはする)から、児童書専門の雑誌を立ち上げて彼女を編集にしようという案を主人公に語る。出版界隈では彼女が薦める本はどれも当たるとも言われていたらしい。なおさら、なんで本屋潰れるままにしたんと思うが、そういうドライさも世の中よくあることではあるんだろう。
什器を残して空っぽになった店内を名残惜しく眺め、そこにかつての母と自分の美しい思い出を見ながらメールを読み上げるシーンも切なくて美しい。きっとここは次にはベイビーGAP(また資本社会の暗部である)が入るのだろう、店を閉めると、母が二度死んでしまったような気がする……。

終盤近くでヒロインまメールの相手の正体を(ほぼ告白された状態で)知り、それから二人は互いにそらっとぼけた上でオフでも会ってはやり取りを交わす……と思いきや、まさかヒロイン、確信に至ってなかったみたいで驚いた。主人公と外で出会うことを繰り返し、メールの世界も別に続けてという二重の世界でふたりは意識して近付いているのかと思っていた(そこは駆け引きとかしてたのもあろうが)。だから最後に完全にメールの男として出会う前の主人公本人の告白とそこでの躊躇いにもなかなかキュンキュンきてしまったのだが。
ヒロインは本屋を閉めてできた時間で本の執筆ができるようになったその人生の意外な展開を少し嬉しそうに語るのもなかなかやはり切なくもたくましいというか、強さを感じる。

最後に二人がdear friendを越えるのは、まあ、お約束だろうし、そうなっても爽やかなところに落とし込んでもいた。すてきな作品だった。



ヒロインの部屋のインテリアと、ヒロインの本屋に勤めるおばさんのイヤリングが視覚的には素敵だった。

胸焼けを起こして死んでしまったらどうしようかと思っていた恋愛描写も、ややロマンチックが強いが丁寧で、人と人とのやり取りや応酬が良かった。ライバル関係でいがみ合う二人というものではあるが、始終二人とも大人なので、そもそもそんなに殺伐ともせず、自然と互いに敬遠したのちに自然と(メールですでに内面に親しみを感じていたので)近づいていく。そのへんは気持ちの良い恋愛映画だったと思う。
次々と妻を自分都合や相手の都合で取っ替え引っ替えして女の記憶も曖昧なままに愛を感じる相手に出会えないまま財産分与で資産を削っていく主人公の父親は、これもまた資本主義社会の象徴であったんだろうけれど。ビジネスだから仕方ないと繰り返していた主人公がヒロインに愛を感じたのは、父親と同じ轍を踏むことはない変化の現れでもあるのかなとも思うけど、そこまで優しい世界でもないかもしれない。
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