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それからのayのレビュー・感想・評価

それから(2017年製作の映画)
5.0
話の筋だけを取り出すと、小さな出版社での不倫騒動とその顛末。だけどこの作品と出会って、自分の恋愛映画の見方が変わった。

作家を目指すアルムは有名な評論家ボンワンが営む出版社に初出社する。自分がボンワンの愛人だったチャンスクの後任だと、彼女はまだ知らない。突然ボンワンの妻が会社にやってきて、ひとりでいたアルムを愛人と勘違いし彼女を叩く。

男性1人女性3人、91分の会話劇。ほとんどの会話は、出版社の社内か社長自宅の食卓か飲食店で交わされる。全体的に静かなトーン。感情を爆発させるシーンが途中あっても、重すぎたり大きすぎたりすることばは使われない。キム・ミニ演じるアルムは三角関係の外にいて、妻に不倫相手と間違われてもドラマ性の低い受けとめかたをする。妻も愛人も泣いて暴れるけれど、彼女はひとり目線が違う。何が起こってる?私は何を感じてる?と自分に確かめるように少し離れたところにいて、ひとりでいる状態から変化することがない。生きる理由はなんですかと社長にたずね、みえないものを信じる子どものようにおっとりと神さまの話をする。タクシーに乗って夜の雪をみつめるアルムは、どんな人生にも何か崇高な原理があるのだとひそやかに誓ってるみたいだった。彼女の視点が加わって、限定された緊密な空間で、三角関係の状況がさりげなく複雑になる。 

作品全体のシンプルさが単純に削ぎ落として残ったものという感じじゃなくて、でもすうっとストーリーが流れていって最後もあっけなくて、終わっても終わっていく感じがしなかった。最初みたときは何だったんだろう?っていう気持ちが残った。

そもそもホン・サンスの映画の制作プロセス自体が簡素。俳優に会って直接の印象を大切に受け入れて、作品のなかでのその人のふるまいやことばが自分のなかに浮かんでくるのを待つ。脚本はなくて、撮影当日の朝ホン・サンス自身が書いたメモが俳優に渡される。セット組せず1台か2台の固定カメラをこっそり置く。ズーム・イン、ズーム・アウト。即興的な演出。ミニマムな音楽。
しっかり構成されたドラマだと、人物が物語を動かし、必然の結末がもたらされる。だけど、そのときそのときの会話で関係を切り結ぶ演技では、相手の理解に近づく勇気を持ちながら、目の前の相手と自分を信じて話すしかない。

「それから」の社長ボンワンはホン・サンスの分身といえそうで、煮え切らないかと思えば簡単に態度を変え、卑怯となじられ肩を落とす、偏屈で絶妙に情けない人物としてきめ細かく描かれる。ボンワンの場合、相手との流れ次第で、簡単に、すべては入れ替わってしまう。3人の女性の誰にたいしても過去の彼の経験はそう役に立たず、でも、会話は1人では成立しない。相手を自分に刻むことができてないから、自分が相手に発したことばも覚えていない。アルムが持つ才能、美的感覚と堅実で正直な芯とのユニークな組み合わせも、ボンワンには見抜けない。嘘と本当が現れては消える。そして、不倫の三角関係の誰も、本当には愛していないのかもしれないし、そもそも、愛とは勘違いでしかないのでは?という疑問もわいてくる。

同じ場所であっても同じ出来事は繰り返されないことをコメディタッチでみせる「正しい日 間違えた日」の撮影でホン・サンスとキム・ミニは出会い、不倫交際のスキャンダル報道のあとの4作めの共同作業が「それから」だったと、本作をみてから知った。それまでは反復と変奏で恋愛映画を器用につくってたホン・サンスが、出会いの衝撃のあとは作風があきらかに違ってる。もしかしたら、彼自身の愛にたいする理想は、かつては秘密の自信に彩られてたのかもしれないけれど、キム・ミニとの出会いのあとはもはや、そのコントロールは自分の手には負えないものだと判明したのかもしれなかった。どうにかしようとあがくのでもただ流されるのでもなく、嘘と本当のあいだをゆらしながら映画をつくっては、愛はどこにありますか?とそっと問いかけて、また人と出会って会話して実際の作品となって、少しずつ違った形を結んでる。
愛の成就や別離ではなく、「それから」。愛も決意も自然に続いていくものではなくて、すべてはプロセスのうえにあってそれからどう続いていくか。

自分もこれまでは、愛について"普遍"という厳しすぎるあるいは単純すぎる期待を、長くひそかに持ってたかもしれなかった。だけど人の感情は自分が望むよりもずっと複雑で、愛はふいに混乱しゆれて、憎しみとさえ鏡になってしまう。意図するものともたらされるものが違ってくる。

ホン・サンスは、シンプルでたわいもない会話の繰り返しを装って、愛の複雑な力学を、驚くほど深く繊細に観察してると、作品をみるたびつくづく思う。
何気ない会話のあと、それまでとは違う常識で生きる自分に気づくことがある。 それが自分の本質的な変化に近いほど、愛は深くなるんだろう。相手との会話のなかに、とても小さく、美しい世界の広がりを知覚できたら、そこには愛のきざしが宿るのかもしれない。


2021/6/6鑑賞(2回目)
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