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ラッキーのNMのレビュー・感想・評価

ラッキー(2017年製作の映画)
4.0
観始めた途端に、やさしく寛容な気持ちになれた。

アメリカ南西部の小さな町に住むラッキー。
生涯独身。海軍時代に最も安全とされる厨房係に配属されたことからついたあだ名で、今もみんなからそう呼ばれている。

毎朝起きるとアメスピのオレンジを吸い、コーヒーを淹れミルクで割って飲む。
ストレッチをこなし、かくしゃくと歩いて行きつけのカフェに向かい、しばらくクロスワードパズルをする。
メキシコ人ビビの営む雑貨店でタバコとミルクを補充し、夜はバーで「ブラッディー・マリア」を飲む(ブラッディ・メアリーを、テキーラとライムで作ったメキシコ版だろうか)。

ある日ふいに倒れるが、病院で検査をしてみても一切異常なし。
肺も綺麗なので逆に禁煙は薦めないと言われるほど健康。

ラッキーの毎日をみると、あ、生きるってこれで良いんだよな、と思わせてくれる。

もちろん余生か現役世代かの差はあるが、立派な人生の目標を設定して必死になることは、別に全ての人の義務ではないはず。
目標を持て、向上心を持て、と言われ続けてて私たちは育った。

平凡な毎日に満足すること。それができるかどうかは重要なライフスキル。生涯幸福度が違ってくるだろう。

ラッキーの家も、街も、シンプルで余計な物がなく、それが綺麗。ミニマリズムの手本のよう。人々の生き方の表れにも思える。
いつもからっと晴れた青空で、ほかに装飾は要らないのかもしれない。

平凡な生活にも小さな出来事は時々ある。

その出来事を通して、生きるということ、死ぬということを観る者に示していく。

例えば、200年以上生きるリクガメのこと、ペット店の生き餌、現実的な弁護士、雑貨店主人の坊やの誕生日会、カフェの客の沖縄戦の話などを通して。

ラッキーはスペイン語も少しできて、マリアッチも好き。

ラッキーが歌を披露する場面は、それまでひそかにじわじわとクレッシェンドされていた何かが極まり、感動した。
なぜだか命の尊さまでも感じる。非常に高度な作りの作品だと感じた。

日々の生活に疲れている人、生きること、夢を追うことに悩んでいる人、幸せな気分になりたい人などにおすすめ。
別に頑張ることを否定しているわけではないので、また明日から頑張ろうという気になれる人もいるはず。
どう受け取るかはそれぞれ。

梅雨や冬の荒天の日などに観るとすこし気分が晴れると思う。
この映画は、部屋を除湿し、適温に暖めてくれるような雰囲気を持つ。

人生の終わりが近づいた時にもう一度観たい。
いや定期的に見返して、自分が変な生き方をしていないかチェックしたい。

普通、人生の終わりやその後について描こうとする作品は、何かしら宗教的な話になったり、過去を振り返って悔いたりするが、本作はそれが一切ない。

ラッキーは、死んだら無だと主張する。
ラッキーにとって、死を前に変わったことをする必要はないし、死後の世界に過大な期待をすることも必要でない。
お迎えが来たらおしまい、ただそれだけのこと。終活も彼には必要ない。

かといって、信仰をバカにしたりしないし、死後の心配をする人が観ても
別に不快な思いはないと思われる。
俺は俺、というだけ。
終活を皮肉ったり、わざわざ他人の人格は否定したりはしていない。

オリジナル版ポスターが格好いい。
下着姿でサボテンに水を遣る彼、サボテンと双子のようにそっくり。
必要なものだけで生きている姿勢もサボテンに重なってみえる。

登場するいくつかのエピソードは、ラッキー役・ハリー自身の実体験を
基にしている。
カフェの客が沖縄に上陸したことを話すが、ハリー自身海軍として沖縄に上陸し戦ったことがあるそう。
ツグミを撃ったことも。
雑貨店の女主人ビビの名は、実在するラッキーのお手伝いさんの名から。

メモ
ソニー&シェール……若いシェールと歌手ソニーの夫婦デュオ(のちに離婚)。60年代から活躍を始める。一昔前のアーティストの代名詞としてよく使われる。

ピニャータ……お菓子やおもちゃなどを詰めた紙製のくす玉。球体ではなく形状は様々。メキシコや中・南米の国で、子供の誕生日などに使用する。木などにぶら下げて、目隠しをしてスイカ割りのように棒で叩き落す。散らばったお菓子を奪い合う。本作では、金の犬型。
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