せいか

女王陛下のお気に入りのせいかのネタバレレビュー・内容・結末

女王陛下のお気に入り(2018年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

(自分用雑記メモ感想。あくまであとでちゃんと考えて書く用の自分用のチラ裏メモ)
メモがあまりにも長大すぎて文字数制限にひっかかったため、メモ全文のurl貼っておくが、閲覧できるのは自分のみにしている。(自分用 https://docs.google.com/document/d/1vR23MNeyGdmQ4ziTaM89PlOFvhKUeT-NReEflqHOn9I/edit?usp=sharing)

※以下、誤って大佐としているところ、正しくはロバートである。直すの面倒なのでここで訂正しておく。
あと、サラの旦那か?と勘違いしていたがたぶん、大蔵卿と見誤っていたところも同上。


最初にはっきり明記しておくが、これは歴史を題材としながらも創作物として主題を持たせて描いたものなので(もちろん他のあらゆる歴史ものに言えることである)、歴史を描いたものではない。観れば分かるが、本作は英国史においてかなり重要なポイントに位置するところを題材としているものの、歴史上のいろいろなものはスッパリ切り捨てられている。そうでなくても時間軸も曖昧だったりする。そういう真面目な歴史的観点から見たら突っ込みどころもぽろぽろあるが、なんとなく、それもブラックユーモアでやってそうなところもちらほらある。

とはいえ、一つの作品としてはすばらしく(ターゲットを絞ってとことん先鋭化したというか)、台詞の一つ一つが無駄なく三人の女たちの在り方を説明しきっていてすごかった。

それに同性愛的な描写が三人を取り巻くが、よくあるようなフワフワとした百合的美しさがない、粘液まみれのそれである。
特に、サラとアビゲイルの二人には男性的(ジェンダーレス的というよりはあえて男的)な振る舞いが目立つ内容にもなっている(その上で肉体的な関係が描かれている)。本作は男へ反旗を返す女たちという内容にも(一面では)なっているのだと思うが、その内容はむしろ「私が主導権をとるのだ」という支配欲にまみれているもので、刺々しいものである。フェミニズム的というよりかは、昨今のよく見かけるタイプの、女性にも考え足らずの残酷な牙を剥くあのよろしくないほうのそれに対する皮肉のような気もした。

そうでなくとも本作は18世紀のそのへんを舞台にこそしているが、その仮面を被った現代のお話でもあると思う。フェミニズムに限らず、政治への無関心、自分がよければそれでよいという無関心なども視野に入れてアイロニーで包み込んだものになっているのだろうとひしひしと感じた。ブラックユーモアな作品ではあるが、全体的にシリアスな空気が強いので、滑稽みがあろうともあまり笑う余裕はない。

+++

時は18世紀初めごろ、もののついでに言っておくと、文学の世界ではかの『失楽園(および復楽園)』なども執筆されて間もなく、王国にはアン王女が君臨する時代。英国史においてはかなり重要なあたりを舞台に話は展開する。
アン王女の治世下といえば、グレートブリテン王国が生まれたまさに節目の時でもある。このため、彼女はイングランド王国およびスコットランド王国の最後の女王であり、なおかつ、グレートブリテン王国の最初の女王という立場でもある。
そしてもう一つ大きなトピックが、かの有名なスペイン継承戦争である。彼女の治世下でこの戦いは激しさを増し、そして彼女の治世下のうちに終わりも迎えた。本作では、こちらのスペイン継承戦争のほうが特に重要な役割を持ってくることになる。

本作では、アン王女を取り巻き、彼女の友であるサラと、サラを通して王女に近付くアビゲイルとのその泥沼化した関係の有り様にスポットが当たっている。
アン王女とサラの歴史にも残る泥沼関係は私もそれなりに把握していたが、アビゲイルに関しては疎いので、実際にこの作品のようにここまで泥沼化していたかは私には不明である。

何はともあれ、映画作品として、この作品は、「女王のお気に入りになること」がいかに自己の保身のためになるか、社会さえも動かせてしまえるかといった皮肉を込めており、熾烈な「お気に入りの地位を得るレース」を通して、化けの皮の仮面を被って振る舞う人間の滑稽さ、それで心を動かし(単純に騙されるわけではないのだが)社会も巻き込む女王の滑稽さを描いているのだと思う。特にアン王女はキャラクターとして醜さが際だっている。気に入らなければ(=気に入る行動をしないのなら)、長年の友情も真っ当な諫言や忠心も天秤にかけて相手を弄びお気持ちで生きる間抜けさをも描いているというか、気に入っている人の言葉に耳を傾けて結果好き勝手に操られるというか(ただ彼女もその辺に関しては鋭いし、対アビゲイルに関しては心を許して従っているわけではないのだが)。だいぶしんどい作品である。指揮者の指揮一つで国の有り様が左右されてしまうのも、(観ていて妙に実感が伴うのもあり)やはりかなりしんどい。
三者三様というか、特にサラにはサラの考えがあり、アビゲイルにはアビゲイルの考えがあり、それぞれの振る舞いがそれぞれにも影響したりもしながらひたすら泥沼が出来上がっていくのであるが(これに関しては、アビゲイルがそこに関してはずるがしこさを発揮できなかったからこその暗迷の展開でもある)、彼女たちが自分の目的を優先したディスコミュニケーションさが紡いだ地獄とも言えようか。特に終盤近くまでは、みんながそれぞれの相手に対してお人形さんでしかない。

歴史のほうは、非常に簡単に言ってしまえば(なにせこのあたりの歴史は込み入ってるのでサクッと説明するのは無理だ)、サラの没落によって夫のマールバラ伯もその地位を失い、彼が活躍していた継承戦争も一転して平和交渉のほうで話がまとまっていくという流れがあるのだが、私が歴史の知識として抱いていたこのあたりの印象も、この作品ではなんだか、ほんとなんだかなーという気持ちにしみじみなるような(創作としての)描かれ方がされていて、そのへんの感じ方の違いが面白くも感じた。
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