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ザ・スクエア 思いやりの聖域のparsifal3745のネタバレレビュー・内容・結末

3.1

このレビューはネタバレを含みます

 スウェーデン映画って、珍しいと思いながら鑑賞。冒頭、現代美術が、ある意味高尚すぎて、大衆受けしないからどうやって注目を集めるかをチームで協議。小難しい抽象的な専門用語ではね。そのために動画を撮影ということになるけれど、美術が、商業主義、分かり易さとのジレンマを抱えていることを理解。確かに。
 クリスティアンが、財布とスマホとカフスボタンを金切り声を上げていた若い女性にすられる。取り戻そうと脅迫的な手紙をGPSが指し示すアパートに投げ込むのが全ての発端。下手に手を差し伸べれば、騙されてしまうのが、まず最初の皮肉。アパートのある地域が、下層の人々が住んでいるため、あまり直接的に関わりたくなかったのだろう。本人と部下が、お互いに責任を取りたがらないのが延々と続く。どういう経緯で盗難した物が少年に渡ったかはわからないが、盗みを疑われて酷い目にあったと少年が謝罪を求める。がしかし、部下もクリスティアンも謝罪しようとしない。我々の姿だ。それは、クリスティアンとインタビュアーの若い女性との性的な関係の後でも同様だった。深く関わると言質が取られたり、責任を取らされるのも現代社会だ。
 美術についてのトーク会場で、障がいをもっている人が酷い言葉を投げつけるのも、美や思いやりと現実社会との乖離を痛烈に批判。実際にこのような美術を愛でている人たちへの生の感情なのではないか。
 ディナーパーティでの、類人猿らしきパフォーマンスは、ちょっとやり過ぎ。実際は、類人猿のような欲望を衣服の中で隠し持っていながら、すましている上流階級の奴らが、他の人がどこまで困っていたら手を差し伸べるのかを映像化しようとしていた。意図がわからないこともあり、皆、浮くのを恐れて辞めさせようとしなかったが、女性が襲われて初めて、複数の男性が反応。でも、移民やら最下層の物乞いが捨てておかれるのは、
権力を持っている人たちが、困っている人たちを何とかしようと真剣に考えていないからというメッセージか。
 最後、自分が役職を辞任して痛い目にあって、クリスティアンは少年に謝罪をしようと行動するが、もう既に引っ越しをしていて、後の祭り。
 「ザ・スクエア」は、そこにいれば明らかに助けを呼んでいるという領域にしようという設定。しかし、実際には、明らかに助けを呼んでいる物乞いのような人たちでさえ、手を差し伸べられていない現実との対比。
 スクエアの中は、中空のようにも見え、そこにどんな思いを詰め込んで行動するかは、一人一人に任されてているのかもしれない。
 美術、福祉、広告、貧富の格差、社会の分断等、多くの要素が盛り込まれているように思えたが、ショッキングなシークエンスが目立って、あまり深く考えさせるような映画ではなかったように感じた。
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