KEKEKE

ザ・スクエア 思いやりの聖域のKEKEKEのレビュー・感想・評価

5.0
- 現代アートを批判的に用いながら決して否定していないことは明らか
- 寧ろ映画という表現手法自体が現代アートを取り巻くトートロジーな社会システムと同じ船に乗り旋回する芸術/商品であるのだから、それを以て現代アートだけを相対化することは不可能なはずだ
- ある意味で主人公のクリスチャンはオストルンド自身の投影で、拡大して彼の葛藤が近代社会における芸術家の葛藤そのものだということ
- その帰結をどこに持っていくかという点がこの映画のスタート地点だろう
- ヒントは前作のフレンチアルプスで起きたことで描かれていた、社会的に要請されるパフォーマンスについて
- つまり行為遂行的なコミュニケーションと他者の目線(社会)の存在が我々に与える影響である
- 前作ではそれは夫婦というパフォーマンス、今度はミュージアムの館長、資本家というパフォーマンスを創り出した
- 何より中盤描かれるモンキーマンのパフォーマンス、このシーンが本当に本当に震えるほど美しい
- このシーンが撮れた時点でこの映画の成功は確定したと思う
- モンキーマンが指し示すのはある種の社会におけるバグ、パーティという整理整頓された空間に予期せず訪れる束の間のカオスである
- 高額で取引される現代アートよりも、1人の人間が起こすトラブルの方がよほど人間の本性を暴くという皮肉
- それは決して掃除機で吸い込んで無効化することなどできない、他社の介入し得ない決定的な暴力性、ある意味何者も毀損できない真の価値
- 我々は社会を演じ続けなければいけない、何故なら社会を成立させているのは演技だから
- 動物が人間のパフォーマンスをする営みに対して人間が動物のパフォーマンスをすることの意味
- 一部の現代アートが提示する現実なんてものは甘っちょろく、単純な恐怖やアクシデントでここまで動物的側面を露出させる生き物が人間
- 映画を撮ることは人間について考え続けること
- この映画自体が現代アート的な文脈に回収されてしまうことへの回答は用意していないのが潔い、やれるもんならこの作品を超えてみろと挑発するようなラストシーン
- 毎回キャスティングのセンスが卓越してる、全く知らなかった俳優たちのことを全員好きになってしまう
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