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明日は引っ越しのukigumo09のレビュー・感想・評価

明日は引っ越し(2004年製作の映画)
3.5
2004年のシャンタル・アケルマン監督作品。近年のアケルマン監督の再評価により数多くの作品が劇場で特集上映されているが、本作はそういったラインナップには入っておらず、日本ではなかなか観る機会の少ない作品である。彼女の祖父母と母はアウシュヴィッツ強制収容所へ送られ、母ナタリアのみ生き延びている。アケルマン監督と母ナタリアの関係は特別なものがあり、ドキュメンタリー作品『家からの手紙(1976)』ではニューヨークの映像に被せて、ニューヨーク滞在中に母から届いた手紙を監督本人が朗読する音声が入り、関係性がうかがい知れる。その母が老いて病み、死期が近づいた時に撮られた母についてのドキュメンタリー作品が『ノー・ホーム・ムーヴィー(2015)』だ。母は撮影終了後まもなく86歳で亡くなり、アケルマン監督も約1年半後、母を追うようにして亡くなっている。劇映画においても『アンナの出会い(1978)』など物語の中で母と娘の関係が出てくるが、本作『明日は引っ越し』は全面的に母と娘の映画である。

本作のファーストショットはグランドピアノが宙吊りになった夢のような画で幕を開ける。程なく引っ越しのためにグランドピアノをクレーンで引き上げて搬入していると分かるのだが、映画の掴みとして十分なインパクトだ。ピアノの持ち主カトリーヌ(オーロール・クレマン)は夫に先立たれ、娘シャルロット(シルヴィー)の住むアパルトマンに越してきたところだ。カトリーヌはピアノの教師をしていて、冒頭のピアノは彼女が自宅で生徒に教えるためのものだ。シャルロットはフリーランスの作家で今はポルノ小説を依頼されて書こうとしているが内向的で繊細な彼女は何がエロティックなのかが分からず言葉も物語もなかなか出てこない。母が持ち込んだ椅子や多くの荷物があちこちに散らかっていて居住空間としても創作空間としても快適とは言いがたい環境だ。執筆のためにパソコンを開いたままシャルロットの手が全く動かないのを見かねて、カトリーヌはカフェにでも行ってそこにいる人々の様子や会話からポルノの要素をメモして自作の参考にするようアドバイスをする。シャルロットは言われた通りカフェで女性同士の会話に聞き耳を立てたり、携帯電話で話す男性の話を盗み聞きしたりしているうちに、不動産屋の男性ポペルニック(ジャン=ピエール・マリエル)と出会う。母との2人暮らしになり手狭になったアパルトマンを引っ越そうと考えていたシャルロットは彼に相談すると、物件を案内してもらうことになる。一方今の家を売るために入居希望者を募るとシャルロットの元に多くの人がやってくる。仲が冷めていながら別れるまではいかない夫婦や妊婦、イタリア産のコーヒーしか飲まない女性や、間取りを一つ一つ測っていく几帳面な夫婦など個性豊かな人々がやってきて、彼らが一堂に会してしまうのがこの映画のハイライトだろう。

本作はコメディとして作られており、『ゴールデン・エイティーズ(1986)』や『カウチ・イン・ニューヨーク(1996)』に連なる明るくて観やすいアケルマン作品ということができるだろう。しかしポルペニックがシャルロットに対して第三世代のユダヤ人であると見抜いたり、母娘で物件を見に行った際カトリーヌだけが臭いに異常に反応したりする場面がある。この臭いは消毒のためであったが、カトリーヌにとってはホロコーストに記憶に繋がるものだったのだ。引っ越しの準備の時にカトリーヌが見つけたというカトリーヌの母の日記は、アケルマン監督の母ナタリアが見つけた彼女の母(アケルマン監督の祖母)の日記の文言とほぼ一致しており、現実と地続きとなっている。
あまり知られていない作品ながら母と娘の関係性であったり、家や部屋が重要な役割を果たしていたりとアケルマン作品の要素でいっぱいの作品である。コメディでありながら死の影やホロコーストの記憶が裏のテーマとなっていて、笑うのをためらわせるような映画となっているのもパンチラインを好まないアケルマン作品らしいと言えるだろう。
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