小鳥の囀りには文法があり、ある一定の繰り返される音の切れ目と抑揚、リズムとメロディーがある。それによって喚起される情動、興奮がある。
彼らの囀りが耳に入って、その拍に乗せられたとき、わたしの身体のなかにも彼らの囀りが駆けめぐり、同じ文法で同じメロディーで情動を刺激される。
共感の原型とは音楽の興奮で、鳥と同じく言語を持つ人間の愛についても本来そういうもののはず。
時にひととの会話に苦痛を感じるのは、身体の中に流れ込んでくる彼らの拍やメロディーがあまりに乱暴で拙劣だからだ。
耳を傾けたくなるのはいつでも女性たちの音楽だった。彼女たちの固有の拍とメロディーに身を委ねていると、澄んだ氷のような碧の海に沈んでいくようで、心が慰められる。
かつて一度だけ男の人から紡がれた言葉に胸を打たれたような気がしたけれど、それはわたしの声の反響だったみたい。もしかしたら彼も彼女たちのように鳴く練習をしていたのかもしれない。
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Ombra mai fu
di vegetabile,
cara ed amabile,
soave più
かつて、これほどまでに
愛しく、優しく、
心地の良い木々の陰はなかった