ロマンティック・コメディを風刺した映画と言われているのですが、全く風刺が効いてないと思いました。
小さい時、ナタリーが『プリティ・ウーマン』を観ていて母親に「こんなの私たちみたいなブスには起こらない」というのは理解できます。1)美男美女がくっつく、2)ミラクルな出逢いはあり得ない・・・。
しかし、大人になってからナタリーの友達が観ているのは『ウェディング・シンガー』ですよね?これは、結婚式場で歌ってる、ロックスターをあきらめたアダム・サンドラーと、ウエイトレスをしているドリュー・バリモアがくっつく話ですよね?
ナタリーは、自分がデブで冴えないからとロマコメを嫌うんですが、『ウェディング・シンガー』は負け組の2人がくっつくんだから、『プリティ・ウーマン』とも違いますよね?美男美女でもないし。
で、ナタリーはロマコメのクリシェ=定番をディスり始めるのですが、これすっごくセンスなくないですか?全然面白くなかった。
「主人公の女はいつもどんくさい女で、しょっちゅうつまずいたりしてるのに、みんなに『なんてチャーミング!』って言われるけど、現実では筋ジストロフィーだと思われるよ」って下りがだっさいなあ~って思いました。「現実では(in real life)」って言葉で言っちゃうと面白くないし、レベル・ウィルソン自体も見ててコミカルな感じでもないし。それに、どんくさい女は映画内でも「どんくさい」って言われてない?
「主人公の女には必ず職場に敵対する女がいるけど、現実では私たち親友だしね!」って言うんだけど、そうかな~?ロマコメの主人公って、いつも冴えない友達いませんでしたっけ?
って感じで、まあ私もそれほどロマコメ観てる人じゃないからわからないけど、「ロマコメあるある」って一括りにパロディになるんですかね?
あと、「主人公の女には必ずゲイの友達がいて、主人公の女の恋愛を成就させるためだけに存在している。ゲイの人本人の生活とかは全く描写がない」って言ってるんですけど、この映画だってないじゃん!最後にゲイの友達は葉っぱの売人だって見せたから、それでその人の描写をしたってこと?
出演者もみんな冴えない。デブとかブスとかそういうことではなくて、キャラが立ってない。これは、物語の後半で変化を見せるために、敢えて平凡なつまらない感じに描いているのかなと思ったんだけど、最後まで印象変わらず。
唯一良かったのは、最後マドンナのExpress Yourself でのダンスシーン。中盤の I Wanna Dance with Somebody のカラオケ・シーンは、「デブに踊らせて誤魔化すなよ!」って思ったけど、最後のダンスは、いままで全くどーでも良かったキャストたちがみんなすごい輝いてた。プリヤンカー・チョープラーなんて、ほんとどーでもいいような演技しかしていないかったのに、このダンスシーンめちゃ冴えてた。こういうシーンを撮るのだけが得意なのかなあ。
で、「ロマコメの主人公の女は、愛する人がいないと幸せになれないと思い込んでいるけど、本当は自分を好きになることが重要」というメッセージは、ナタリーの口で言わせるだけ。なんでその結論にたどり着いたのかってのもちゃんと描写されてないし、結局「白馬の王子様じゃなくて、身近にいる冴えない男があなたを思ってくれていたんだよ」という陳腐なラスト。これこそ、この映画が風刺しようとしている「ロマコメあるある」なんじゃないのかなあ。しかも、「でも、男がいるから幸せなわけじゃないわよ」ってまたセリフで言い訳してしまうので、ロマコメを風刺しようとしているのに、単に質の悪いロマコメに成り下がってしまっている。
これは脚本が悪いんじゃないかと思いました。レベル・ウィルソンも、使い方を間違えなければ結構面白いんじゃないかなと。