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Noise ノイズのkuuのレビュー・感想・評価

Noise ノイズ(2018年製作の映画)
3.6
『Noise ノイズ』
製作年 2018年。上映時間 115分。
無差別殺人事件から8年後の秋葉原を舞台にした群像劇。
アイドルユニット『プティパ』の篠崎こころ、アイドルグループ『オトメブレイブ』の安城うららが主要人物である2人の少女を演じ、布施博、仁科貴、小橋賢児らが脇を固める。
監督は本作が劇場監督作品デビューとなる松本優作。

2008年に起こった秋葉原無差別殺傷事件から8年。
事件で母親を殺された地下アイドル、父との関係がうまくいかず家出をして秋葉原で生きようとする女子高生、母親に裏切られ、日々の苛立ちを秋葉原の街にぶつける配達員の青年。
それぞれが苦悩や心の葛藤を抱えながら、秋葉原という街で生きる人びとの孤独や闇が描かれる。。。

今作品を観てふと詠みました愚詩より書きはじめます。
目汚しとは思いますが御許し下さい。

       噪音
      『Noise ノイズ』を鑑賞し
        作詩kuuことGEORGE
壱枝に參頭(三匹)夢見鳥
壱枝の上で翅を思ひ休む
露の重荷で垂れ下がり
草は思いに伏する
華は悲しみ萎え
秋の無情に己を責む

物云わぬ參頭の夢見鳥
一斉に立ち上がり舞う
目の前の風は冷たく
後ろを見れば野原は寂しく

閲(けみ)する春は埒なき夢

失われた旅は何処に

同一怨嗟を持つ參頭の夢見鳥
飛び散るような陸枚(六枚)翅
ともに飛びてひらひら
秋の蔦葛はおどろおどろしく
雄も雌もひらひら
来たところへ帰りゆく

壱本の枝がまた宿となり
暮れ泥む刻に鳴る鈴の音
參頭の夢見鳥がそこいらに

參頭の夢見鳥 驚きて立ち上がり
丁度 西方に別れ
向きを変え去つた


夢見鳥=蝶々
閲する=時・年月がたつ。

2008年に起こった秋葉原無差別殺傷事件をモチーフにした作品には映画『ぼっちゃん』てのがあったが、それは犯人・加藤智大をモチーフの彼を軸に描かれたモノやったけど、今作品は秋葉原無差別殺傷事件をモチーフにしてるが、その事件こら東京の大衆文化都市・秋葉原の秘密と暗部を暴き、悲劇や痛み、忍耐への向き合い方を問いかけていた。
意外にも、重厚な邦画ネオノワール作品でした。

東京に暮らしたことのない者として、秋葉原ってのはアニメ、ゲーム、アイドルなど、あらゆるオタク文化(オタクはどうも失礼かなギーク)が集まると勝手に想像してる。
その秋葉原を舞台に、地下アイドル歌手兼JKリフレの桜田美沙(篠崎こころ)と、無口で大人しい大橋健(鈴木宏侑)、そして山本里恵(安城うらら)の軸で描かれてました。
この3人は、日本社会の下層で育つという落とし穴を乗り越えようともがく。
松本優作監督は、直線ではない時間軸を通して、登場人物たちの人生を隅々まで描き、悲しみと葛藤のタペストリーを提示していました。

2008年、秋葉原で起きた『秋葉原無差別殺傷事件』で母親を失った美沙は、トラウマを克服するどころか、自分自身の気を紛らわすことしかできないように見える。
暴力的な父親と暮らす桜田美沙は、地下アイドルやJKリフレとして風俗で働き、野郎どもの妄想を満たすために昼夜を過ごしている。
アイドルと風俗の狭間で、幼少期のトラウマから自分を守るために、この2つの顔を使い分ける美沙。
美沙を演じる篠崎こころ自身も10代の頃、同じような仕事をしていたと云う。
柔らかく多感な時期に同じように過ごしてるからか、演技の良し悪しは別として、個人的には彼女に魅いったかな。
ボンクラ野郎の客に頼まれたとは云え、強烈な張り手を御見舞いするとこなんかアントニオ猪木バリやったしリアルやった。
よく笑い、大きめの服、歯並びの悪い笑顔の裏には、計り知れない苦悩を抱えた若い女子の姿が見え隠れしてた。
美沙が父親から虐待を受けているのと並行して、大橋健(鈴木宏侑)とその母親は精神的な虐待を受けている。
健と母親は、おとなしく、印象の悪い二人暮らしで、健のわずかなアルバイト代が、母親の貧しい生活習慣を支えるのにやっとのこと。
母親は、いつも健に金の無心をし、ゼニ貸や大家の云いなりになり、健の生活は理想とはほど遠い。
しかし、美沙と違って健は、脅迫電話や日記など、眠っている暴力性を発揮する。
母親が自分をどんどん粗末に扱っていく中で、彼のケースに一片の共感を覚えるのは比較的容易。
また、美沙や健とは異なり、里恵はひどい子供であることを楽しんでいるように見える。
彼氏や友達の "カッコイイ "と誤った行動に煽られ、世話好きの父親を無視したり軽蔑したり、ホームレスへの暴行などの集団行動に出る。
そんな彼女の態度は、次第に彼女の人生に楔を打ち込み、最終的に彼女は迷い、孤独を感じるようになる。
リエの行動には、すぐにわかるようなきっかけがないため、彼女のキャラにはほとんど救いがないように感じたかな。
その結果、今作品の主役の中で最も好感が持てない人物となってしまった。
松本優作監督は秋葉原の微妙な下層を強調するために、色の少ないグラデーションを巧みに利用してたし、映画のすべてのシーンを粒子の粗い質感にミューティングすることで、心地よい美観を提供していた。
また、秋葉原の最も下層な部分を構成する夜と昼のビジネスや活動の間につながりを持たせてもいた。
暴力的な住人から、ヘルスクラブの仮面をかぶった明るい広告の風俗店まで、秋葉原は堕落した雰囲気に満ちている。
監督は、不愉快なほど大音量のダブステップやトランスミュージック、そして得体の知れないノイズが飛び交う中、登場人物の中にある不安、焦り、居場所のなさという感情を、より具体的で身近なものとして描き出してた。
監督の描く主要な登場人物は、それぞれ人生の変数を表している。
人生のどの時点でも、我々はトラウマ、フラストレーション、絶望、不安、悲しみ、そして、痛みを経験していると云える。
監督が登場人物の個々の体験を通して行おうとするのは、彷徨うものもより強く、やがていつかより安全な反対側から這い出すことができるちゅう、わずかな希望の光を見せてくれてた。
荒削りながら今作品は何か魅入るモノがありました。
kuu

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