Kazusa

希望のかなたのKazusaのネタバレレビュー・内容・結末

希望のかなた(2017年製作の映画)
4.5

このレビューはネタバレを含みます

Filmarks主催試写会にて鑑賞。

『ル・アーブルの靴磨き』に続く、移民問題へ言及した作品。『ル・アーブル…』においては移民と出会った人々の個人的感情である「優しさ」が描かれていたのに対し、本作ではそれがより一般化されて「正義」として語られているように感じた。ここから考えると、カウリスマキの主張は前作よりも強くなっていると推測できる。

この傾向は劇中に登場する移民の急増、そして移民に敵対する存在の増加に現れている。
前作で移民に敵対するのは主に警察のみであったが、本作では移民を敵視する存在すべてが取り上げられている。すなわち暴漢、ネオナチ、当局などだ。こういった「敵視する者」を包括するような試みは、移民問題をより多くの層に実感させる効果があると思われる。

この映画が素晴らしいのは、そういったお堅いテーマに終始しないよう工夫されている点である。カウリスマキのユーモアは本作以前のどの作品にも増して輝きを放っている。寿司の場面は私たち日本人にとっても本作を親しみのあるものにしてくれる。

そんな素晴らしいカットとカットを繋ぐのは、ニッチな音楽家たちだ。劇中歌が歌う「音楽か死か」という言葉はこの映画の本質を突いているように思われる。強制送還前に主人公が紡ぐ音楽も、バーで流れる音楽も、すべて死以外の選択肢、すなわち「生」の象徴としての音楽なのだ。つまりこの映画の根底に流れるBGMとは、移民の生や人権を肯定するカウリスマキの道徳観そのものなのだ。

本作『希望のかなた』というタイトルは登場人物たちの未来を私たちに想像させるように出来ている。主人公の生死も、移民の安否も、夫婦生活も、レストラン経営も、完全な結末は描かれていない。エンディングという境界線の先に見えるのは希望であり、絶望でもあるのだ。

私たちの住む日本も抱える移民問題の先にあるのは希望か、絶望か。この映画を通して考えるべきは、カウリスマキの切望する明るい未来の実現方法ではないだろうか…。
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