言っていることはわかる。
しかしぼくの考えは違った。
音楽によって、
観る者の心情をコントロールできる。
それはね、わかるのですよ。
ぼくは音楽作ってたこともあるし、
コンサートの演出の仕事してたこともあるから。
でもね、
少なくとも僕が映画に求めるものは、それじゃないのだ。
ぼくは昔から基本的に劇伴が嫌いで、
いや、
嫌いは言い過ぎかも知れん。
劇伴が不要と思っていて。
うん、こっちのほうがしっくり来る。
この映画をきっかけにその理由を再度深く考えたんだけど。
ああ、そうか。
たぶんぼくは、
「映画を外から観ている人」ではなく、
「映画の登場人物」でありたいのだ。
登場人物の誰かに感情移入していたいのだ。
当然、
ほとんどの場面では、
本当はあんな劇伴なんて流れていないのだ。
劇伴はあくまでも映画というパッケージの一部であって、
誰かが誰かを憎む瞬間も、
誰かが危機に陥る瞬間も、
誰かが誰かに恋する瞬間も、
誰かが何かを成し遂げる瞬間も、
実際にその場所では、
あんな音楽が流れているわけではないのだ。
ぼくはその場所の、
その空気の中に登場人物としていたい。
だからなのだ。
映画を、映像も、音楽も、全て含めたパッケージとして、
「鑑賞」して楽しむ人もいるのはわかってるし、
むしろそういう人が多いだろってのもわかってるから、
だから劇伴を否定するつもりはないのだけれど、
でもやっぱりね、
このドキュメンタリーで、
劇伴ってすごいぜ!
劇伴こそ映画の肝!
って主張されても、
ぼくには響かなかったな。
ただ、
ぼくも音楽作ってたことある身だから、
音楽を作る現場を見ることができる。
という意味ではすごく目鱗な映像すぎたんだけど。
オーケストラの作曲をさらっと書けるとか、
練習なしで譜面見て一発で合わせるとか、
プロのヤバさが天上人すぎてもうね!
極限プロのお仕事集としては見応えありおりはべり。
好き嫌いじゃなく、
すごいものは、すごい。
それでいいのだ。