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ドグラ・マグラのSariのレビュー・感想・評価

ドグラ・マグラ(1988年製作の映画)
4.0
実写映画化は不可能と言われた日本文学史に残る夢野久作の奇書『ドグラ・マグラ』(1935年)を松本俊夫監督が見事映画化に成功したカルト映画。

大正末期。九州にある古い大学病院の精神科で呉一郎は目を覚ます。一郎は自分の名前も顔も覚えていない記憶喪失であった。そこへ現れた大学教授の若林、謎の死を遂げた正木教授の導きにより記憶を取り戻そうとするが、猟奇的な体験と共に奇怪な因縁に彩られた禍々しい事件が浮かび上がってくる…。

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原作『ドグラ・マグラ』は、日本三大奇書の一つとされ、本書を読破した者は、必ず一度は精神に異常をきたすとも言われ、あの横溝正史も読後、気分が変になり夜中に暴れてしまったという。横溝氏は、「ドグラ・マグラ」を読んで頭が変になったらしいんだよね。だから俺はまだ相当感受性が強いなと思って、安心したよ」と語ったそうである。

謎解き推理小説であるとされるが、グロテスクで難解な表現が多く、ただのミステリーではない。
「ドグラ・マグラ」とは、九州地方の方言で呪術を表し、「堂々巡り、目くらみ」が訛ったものとされ、今作の物語も同様に堂々巡りしていく。
 
私(主人公)は一体何者なのか、自己(アイデンティティ)が確立出来ずに揺れる人物像。他の登場人物も同様に、得体の知れぬ気味の悪さが漂っている。
会話をしている人物は同じであるにも拘らず、場所が入れ替わり一つのショットの中で2つの出来事が展開されるなど、全ての出来事に私(主人公)は確証が持てない。
虚構と現実が入り組み、観る者を迷宮へと誘い幻惑させる。
物語の重要な鍵となる絵巻物の中身が、記憶を失った私(主人公)の祖先である、唐時代の画家が自らの夫人を殺め、亡骸が変わり果てていく様子をスケッチして絵巻物にしていくという変態的性癖を見せていくが、その忌まわしい因縁から逃れられない私(主人公)。

故・桂枝雀(かつら しじゃく)は今作が映画初出演ながら、落語家とあってスピードィな台詞回しと、コミカルで味のある怪演ぶりを見せている。

主役・松田洋治は子役からキャリアを積み、演出家・蜷川幸雄からの推薦で松本監督が抜擢。声優としても活躍(風の谷のナウシカのアスベル役、もののけ姫のアシタカ役、タイタニックのディカプリオの吹替など)

原作の難解極まりない世界観を見事に具現化した木村威夫の美術、紙芝居形式で見せる人形作家ホリ・ヒロシの人形、鈴木達夫の撮影の素晴らしさ。
(撮影監督 鈴木達夫は寺山修司監督「さらば箱舟」「田園に死す」を手がけ、今作も寺山の迷宮的世界に通ずる芸術性を感じさせる。)

奇々怪々な原作の持つナンセンスの凄みを引き出した鬼才・大和屋竺の筆致、それを松本俊夫がロジカルに構成した共同脚本はこの映画を高いレベルへと引き上げている。

ベルリン国際映画祭出品作品、香港国際映画祭招待作品、バンクーバー国際映画祭招待作品、イタリア・ヴェローナ国際映画祭招待作品。

原作:夢野久作
監督:松本俊夫
脚本:松本俊夫/大和屋竺
撮影:鈴木達夫
美術:木村威夫/斎藤岩男
音楽:三宅榛名
製作:柴田秀司/清水一夫
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