もものけ

ドグラ・マグラのもものけのネタバレレビュー・内容・結末

ドグラ・マグラ(1988年製作の映画)
4.0

このレビューはネタバレを含みます

男が目覚めると記憶の何もかもが失われ、何故ここにいるのかすら分からなく狼狽してしまう。
そこは九州帝国大学医学部精神科の7号病棟。
男はある凄惨な事件に関わってトラウマを起こし、記憶を失ってしまっていたのだった…。




感想。
小説家 夢野久作 原作による幻魔怪奇探偵小説「ドグラ・マグラ」という、日本三大奇書となる怪作を映画化した名作で、尺の都合から"原作の混沌とした独特の空気感というものをうまく表現しきれていない"との批評はあれど、この難解な怪作を映画化する意気込みと、見事に完成させ役者の演技力がそれを補う素晴らしい名作となる作品でございます。

小説は"読破した者は、必ず一度は精神に異常をきたす"といわれ、劇場公開当時のキャッチコピーとされ、地方のコミュニティーセンターでの上映のみしか行われず、街角の電信柱にいかがわしい絵をモチーフにし怪しいポスターで宣伝するなど、興味は惹かれど踏み出せずという躊躇させる作品であった為に、機会を逃して幻の作品となってしばらくリリースされることなく終わりました。
小説は、確かに訳のわからないループ物の内容で、精神病院を舞台にした常軌を逸した作風であるがゆえに、江戸川乱歩にも"わけのわからぬ小説"と酷評されているほどですが、個人的にはなかなか面白い小説でありました。
夢野久作は、作品を創り上げるのに10年の歳月をかけており、その意気込みの果てに死んでしまいますが、未完に終わらなくて良かったと思えるほど、探偵小説として面白い作品です。

映画化では役者が作風を表現して素晴らしく演じており、中でも正木博士を演じる桂枝雀は、話家であることを活かした滑舌のよい表現力で、ナレーションまで努めながら、漫画の博士のような出で立ちで不思議さ満点のキャラクターを見事に立たせております。

他にも松田洋治のあどけなさが残る劇団で培った演技の良さや、室田日出男が演じる若林博士の理性的キャラクター、森本レオが演じる新聞記者など全てのキャラクターをピッタリと当てはまるキャスティングは見事。
桂枝雀、松田洋治、森本レオなどは声の仕事をするほどのキャリアを持っているので、声での表現力も半端ないものがあります。

物語は謎の"私"を主体に描かれており、殺人事件の容疑者である呉一郎との関連性を探る探偵小説となります。
そして、まだ理解のされていなかった時代の精神病という脳の機能障害からの病への偏見と迫害を通して、"脳髄論"という特殊な学説を用いて人間誰しもがなり得るという可能性を警鐘しております。

若林博士と正木博士の医学的からなる対立が背景にあり、呉一郎の母親を誘惑してどちらかが呉一郎の父親であります。
記憶を失った"私"は、最後まで誰かは分かりません。
しかしこの"私"を利用して二人の学者が仮説を実証する為に利用しています。
特に、最も信頼の置ける存在のように振る舞う正木博士は、自身の論文"胎児の夢"と"脳髄論"を実証する為の実験場である"解放治療場"に精神病患者を集めて、なにやら怪しげな実験を行っています。
対して、若林博士は人体解剖を用いて、なにやら怪しげな実験をしています。
この二人のマッドサイエンティストは、精神病への理解という道筋は一致しているものの、互いを認め合わず対立したまま"私"を取り込もうとしているように見えます。

この正木博士の論文"脳髄論"は、中国の哲学者 荘子の夢と似たようなイメージを持っております。
"脳髄は考える機関にあらず、受信して伝達する機関にすぎない。
しかしながら、これを考えているのは脳髄でもある"
なんやらややこしいですが、量子力学の"シュレディンガーの猫"のような詭弁的な皮肉を表しているように感じます。
この考え方が、ラストのループ構図に繋がっており、螺旋階段を永遠に登り続けるかのような不思議な物語への魅力ともなります。
この構図は"私"が「ドグラ・マグラ」という物語の中で、ある精神病患者が書いた「ドグラ・マグラ」を読んでいる構図からも伺えます。

原作で摩訶不思議な"ブウウーーーン"という時計の音がする部屋の一室の質感や、"スチャラカチャカポコ"と陽気に歌う正木博士の「キチガイ地獄外道祭文」など、見事に映像化しているのは見事でございます。

「キチガイ地獄外道祭文」は当時の精神病患者への迫害を歌ったシニカルな内容を、あえて明るくスチャラカチャカポコと歌っていますが、当時の酷さが伺える凄まじい内容となっております。

原作の雰囲気を十二分にまで発揮させた映像化への意気込みに、4点を付けさせていただきました!

リリースされて、ほんとうに良かったでございます!!
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