YasujiOshiba

トロイのYasujiOshibaのレビュー・感想・評価

トロイ(2004年製作の映画)
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アマプラ。23-17。面白かった記憶がある。ヴィスコンティの『熊座の淡き星影』の予習のために再見。ホメロスの『イリアス』が下敷き。今回は少し予習していたので、ずいぶん堪能できた。うまくまとめてあると納得できた。

どこかのイタリア通の方がいろいろ批判していたらしい。ぼくはブラビの粗野で繊細でアホのようで知的な演技を堪能できた。これはいい映画だと思ったな。たしかにブリセイス(ローズ・バーン)は本当はトロイア人じゃないし、ヘクトルやパリスの親族ではない。それをあえてトロイのアポロ神殿の巫女としたところが秀逸。話は単純になるけれど、ブラビのアキレウスの葛藤はむしろ際立ってくるかもしれない。

アレッサンドロ・バリッコも書いていたけれど、アキレウスほど戦場にでるまでに時間稼ぎをした英雄はいない。美しい女性を愛することのほうが、命を奪う戦いをするよりもずっとましだと言い続ける。だが最後には運命が彼を戦場に連れ出すのだ。

実際、ホメロスの『イリアス』では、アキレウスは一度戦場を離脱し故郷に帰ると言い出す。名誉よりも、天寿を全うすることを選ぶというのだ。なるほどトロイの戦いは10年近く続いた。そんなことも起こるだろう。しかし映画では10年なんて描けない。どうやって時間を凝縮するかが勝負。ならばいっそブリセイスをトロイの女にしてしまおう。美しい巫女の依代はローズ・バーンだ。ブラビ/アキレウスだって、彼女を見れば戦争もやりたくなくなる。

うん、これはみごとなアイデアだよね。ついでに結末もブリセイスにまかせばよい。『イリアス』の場合はヘクトルの葬儀で終わる。それでは戦争が終わらない。理不尽を言ってアキレウスを怒らせたアガメムノンにもおとがめなし。しかし観客は、この身勝手な王に天罰が降るところを見たいのではないか。

ホメロスのアガメムノンは、戦争が終わって故郷に帰り、そこでほっとしたところを妻のクリュタイムネストラに謀殺される。しかし映画ではそこまで描けない。謀殺された説明も必要になるから、ややこしい。ならば、いっそブリセイスに手を下して貰えばよい。それも、淫らな欲望に動かされたアガメムノンの非道に対する正当防衛とすっきりする。その直後、アキレウスも色男パリスの弓にアキレス腱を射抜かれて倒れ、火に包まれたトロイの陥落を見せれば一件落着。それでも162分。

こうすれば、このペーターゼンの「イーリアス」は、オデュセイウスのその後の漂白(ホメロスの『オデュセイア』)や、トロイの剣を託された少年アイネイス(ヴェルギリウスの『アエネーイス』)の物語へとつながってゆく。しかし、アガメムノンがブリセイスに殺されてしまうと、エレクトラの話に続かない。エレクトラに続かなければ、ヴィスコンティの『熊座の淡き星影』に続かないのだ。

ペーターゼンの「イーリアス」のアダプテーションは悪くない。それでも、アガメムノンがあまりに非道いヤツだからバチが当たり殺されてしまうとするのは、どうだろうか。見ているほうはすっきりする。けれども、人間の本性をすっきり描くと、なにかを見落とすことになる。ここではあきらかに、エレクトラの存在へと続く筋を見落としていることになる。

なにしろヴィスコンティとスーゾ・チェッキ・ダミーコが『熊座』でカルディナーレに演じさせようとしていたのが、エラクトラなのだ。エレクトラはギリシャ王のアガメムノンの娘。そのエレクトラの父であるアガメムノンは、トロヤ戦争から帰ったとき、妻のクリュタイムネストラによって、あろうことか愛人アイギストスと申し合わせて謀殺されてしまう。

だから娘のエレクトラは、実の母の陰謀で愛する父を失ったのだ。だからこのエレクトラは、弟のオレステスとともに、実の母親の罪を追求する。それがこれが、ヴィスコンティが下敷きにしようとしたプロット。

残念ながらこのペーターゼンの『イーリアス』であるこの映画は、アガメムノンを早々に殺すことで、エレクトラとオレステの存在を消滅させてしまった。アガメムノンもまた一人の愛される父であり、その死を悲しみ、復讐に走る娘や息子がいることに、蓋をしてしまったのだ。

でもまあ今回は、幸いにも、その蓋の在処がわかった。その蓋を少し開けながら、明日もヴィスコンティのエレクトラ/カルディナーレのことを考えてみようと思う。
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