「聖なるもの」とは「聖なる」「もの」、聖化でありモノ化であるという二重の仕組みを持っている
「モノ」として、客体として他者からの視線を完璧に内面化してしまったように見える南美さん、彼女は語ることはないし語れない、おそらく誰も彼女の声を聞き取ることはできないだろう。
そして少女だけが聖なるものなのではない、この映画は松本まりかの"母性"によって成り立っているようにみえた。
小川紗良ことウテナがアンシーを連れ出した後の"外の世界"で何をみたのか、いつか彼女の監督する映画のほうで観れる日を楽しみにしてる