のーのー

映画ドラえもん のび太の宝島ののーのーのネタバレレビュー・内容・結末

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このレビューはネタバレを含みます

この作品は、小学1年生で観た『のび太の恐竜2006』以来毎年ドラえもん映画を観に行っていたぼくが、はじめてリアルタイムで劇場に観に行かなかった映画だ。
当時のぼくは新環境によるストレスや、SNSを始めたことによるアイデンティティの変容などで不安定な気分であり、子供のための明るく楽しいドラえもん映画を観に行く気にならなかった。
翌年にDVDをレンタルして初めて観たが、その時はやっぱり見に行かなくて正解だったと思った。
大声で感情をあらわにするのび太たちがうっとうしかったし、何より「家族だから」という美名のもとにすべてが解決される(ように見える)物語にそれはないんじゃないのと思い、全然好きになれなかったのだ。

だから今回ドラえもん映画マラソンにあたって観返すのは気が進まなかった。けれど、改めて観ると、そこまで悪い作品ではなく、部分的には以前より評価が上がったところもあった。観返してみるものだ。
ただ、トータルではやはり苦手な要素の方が多い気もする。


良かった部分から先に書きたい。
まず何と言っても、今作の作画の美しさはいくら褒めても褒め過ぎということはない美点だろう。
背景美術では特に、木漏れ日や水面の照り返しなど、光の表現にこだわりを感じる。色彩表現という意味では、日焼けの描写も今までにないリアルさで、キャラクターの肉体性を感じられて良かった。
また。人物の動きも、特にタケコプターで飛ぶなどのアクションシーンにケレンがあって良い。構図の取り方もいつにもまして映画的でかっこよかった。
これはシリーズの他作品と比べることで、ダントツで美麗な作画だということが実感できた。
総作画監督の亀田祥倫は『犬王』なども手掛けてる人で、名前覚えとこうと思った。

デザイン的な魅力にも溢れていた。特に、水陸両用のトビウオ型ボートは、飛行時に骨が見えるようなデザインになるところが秀逸だった。また、「水手袋」という道具は今作で初めて見た気がするが、掴み取られた水の質感も含めて楽しい描写だった。海賊船での人々の暮らしが、一瞬しか映らないようなキャラも含めて個性あるいきいきとした描写だったのも良かった。
ドラえもんやのび太達レギュラー陣のキャラクターデザインは、指摘している人も多いけど、リニューアル以前の大山のぶ代時代の絵柄を彷彿とさせるものがある。ぼく個人としては、観始めた年代はもとより、原作のかわいらしさに近いという意味でもリニューアル後の普段のデザインの方が好みなので、今回の絵柄は懐古に走っているきらいも感じられて特別好きというわけじゃない。とはいえ、のぶ代ドラの絵柄独特の温かみを、現代的なアニメ技術によって動かしているのは見るべきものがあるし、昔の絵柄のファンにとってはたまらないだろうと思う。


とにかく絵やデザインが良い、という一点をもって、本作は名作と言っていいかもしれない。

しかし、正直この映画の良さはこういった見た目の上でのことが大半で、ストーリーや演出、演技については気に入らない部分がやっぱり多かった。


まずは、「家族愛の美しさ」のようなことを押しつけがましく感じるということについて。
初見時に感じた、家族という概念への過大な信奉という点に関しては、少し印象が上方修正された。初見の印象では、フロックとジョンは相容れない生き方をしているのに、無理に関係を修復しようという方向に話が進んでいくのは、「家族だから何があっても仲良しであるべき」という不健全な前提に基づいているように感じられた。しかし、改めてストーリーを追うと、フロックとジョンは本来は仲が良く、特にフロックの方はかつての父に戻ってほしいと願っていることが全編通して一貫しているので、「家族だから仲直りしなければならない」のではなく「仲の良い家族だった頃に戻りたい」という願いの物語だったのであり、そこまで目くじらを立てるような話作りでもなかったと思った。
それでもやっぱり、「家族愛の美しさ」への押しつけがましさをこの作品から感じてしまうのもやむを得ないとも思った。一番の理由は、のび太やフロックの感情演技・演出がオーバーに見えることだと思う。こと親子の対立についての場面において、のび太は「親子なのにパパと争うなんて、僕だったら悲しいから!!」「大人は絶対に間違わないの!?僕たちが大事にしたいと思うものは、そんなに間違っているの!?」と、これがメッセージですと言わんばかりのいかにもな「感動ゼリフ」を大仰なポーズ付きの大声で叫んでいてうんざりするし、フロックはフロックで特に必然性もなくピアノを叩いて父への怒りを表現するなど、こっちの感情を置いてけぼりにしていた。
こういった喜怒哀楽表現が、最後の最後に反則気味に使われて情緒を盛り上げるならまだ良いけど、全編通して続いているのだ。だから、冒頭でのび太がのび助に怒りを爆発させる場面からすでに唐突に感じられ、ずっと本作の感情のラインについていけなかった。
泣かせ方向の表現だけでなく、ギャグも大声と変顔が中心のこれ見よがしな「笑わせ」で面白くない。
前作『南極カチコチ大冒険』は異様なまでに情緒表現が抑えられた作品であるのに対し、その反動とも思えるくらい情緒表現が過剰な本作は、2作続けて観ると同じシリーズとは思えないほど極端だ。この2作のちょうど中間くらいが適切なバランスなんじゃないかと思う。

ただ、一箇所だけとても好きな感情演出がある。静香が海賊に(勘違いで)拐われた際、泳げないのも構わず必死で潜水艇にしがみつくのび太の描写だ。この場面は行動するのび太よりも静香の方が泣いて窓を叩く大きな芝居をしていることで、かえってのび太側の絶望感が伝わってくる。それに加えて、キャラクターが「極限状態で、理屈を超えた衝動的な行動をしている」というのが描かれているため、のび太の行動に自然に感情移入できるのだと思う。逆に言えば、その他の情緒過多に感じる場面は、ストーリーを進めなければいけないにも関わらず、キャラが極限状態で異常な精神状態にあるように見えて、ストレスに感じてしまうのだろう。

家族の話に戻ると、のび太が大声で叫ぶ「親子なのにパパと争うなんて、僕だったら悲しいから!!」なるセリフに覚える違和感は、その言い方や仕草がオーバーアクトであることだけでなくて、のび太が、フロックとジョンとの極めて特殊な親子関係と、彼がのび助とした極めて平凡な仲違いとを、あまりにも屈託なく同一視していることにもある。
以前『奇跡の島』の感想で、ぼくは「ゲストキャラ同士の関係からのび太もまた自分の親との関係に相似形を感じ取る、という形にした方がより普遍的な話になる」と書いたけど、今にして思うとそれも単純な考え方ではないかという気になった。今作はまさにそれを行っているわけだけど、それでも良い話に思えなかったのは、「親子(家族)の関係」というのはそれぞれの親子(家族)の数だけ形があり、そこに一般化できるような相似形を見出すことは慎まれなければいけない、というよく考えれば当たり前のことが原因だと思う。
切れない血縁で苦しい思いをしている人は現実にたくさんいるし、仲違いしたままでそれぞれ幸せな人生を送っている親子がいたって否定されるべきじゃないと思う。家族という繊細で巨大な問題を孕んだ概念を肯定的に捉える物語があるとすれば、それはあくまでその家族だけの話だという描き方にして、「あまねく家族とはこういうものだ」という描き方にはしないでほしいとぼくは思う。


情緒やメッセージの押しつけがましさと同じくらい今作で気になるのは、ジョンが目撃した2295年の荒廃した未来に対して、作品内で何も解決されていないことだ。
この光景はジョンの妄想などではなく、彼がタイムマシンで目撃した現実の地球の光景であり、実際にその廃墟だらけの絵面も映し出され、かなりショッキングだ。
21世紀(20世紀)の世界に22世紀のロボットがやってくるという設定の物語に慣れ親しんだドラえもんの観客にとって、さらに1世紀後の23世紀という時代は、それほど途方もない未来には感じない。(ちなみに『のび太の恐竜』に登場する悪役ドルマンスタインが暮らしているのは2314年という設定だ。)2250年から来たジョンやフロックにとっては自分たちの生きる時代そのものだ。
ジョン=キャプテン・シルバーの行動原理はこの未来を避けるためにあったわけだが、結局この未来が回避されたということは最後まで全く示されず、ただジョンが21世紀現在の地球に危害を加えるのを考え直しただけだ。
一応、ジョンの亡き妻フィオナはより完全なエネルギー問題の解決を目指す途上で亡くなっており、その意志を受け継ぎ、なおかつ最終対決で父ジョンの力を超えたことが描かれたフロックによって地球の未来は救われる、という楽観的な筋書きも想像できるようになっている。しかし、それはあくまで観客の想像の余地があるというだけで、そうした希望ある具体的な未来図については、絵でも言葉でも直接明示されない。

このバランスが、ぼくには理解できなかった。子どもの観客の中でも繊細な子だったら、はっきりと描写される暗黒の未来絵図を結構引きずってしまうんじゃないかと心配になるし、現実世界でこのような暗黒の未来が絵空事かというと全くそうではないから、そのショックもあながち的はずれなものではない、という事実がなおさら厄介だ。
いっそ説明ゼリフでもいいから、映画の中で明るい未来を示すような何かがあってほしかった。ここまで直接的な「メッセージ」をこれ見よがしに出してくるこの作品が、なぜ一番必要に思える事柄に対して、わかりやすい希望を、盛大なおためごかしをぶち上げてくれないのだろうか。


なんかいろいろ考えてるうちに重い気分になってきた。結局トータルではやっぱりあまり良い作品に思えないかもしれない。
オープニング曲が無くなったのも寂しい。
のーのー

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