まろ

ずぶぬれて犬ころのまろのレビュー・感想・評価

ずぶぬれて犬ころ(2018年製作の映画)
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自由律俳句って世界があるだなんて
聞いたことがあるだけで
見てもいなかった !!!
俳句はジジババのものだと思っていました
これならわたしも … !

--------キリトリ線--------
自分の魂にズカンと
何かしらズカンと響く映画というのは
上映中に台詞や、思考を、書きとめたい欲求が止まらなくなるのですが
例にもれず、この作品も

今日は舞台挨拶ということもあり
シネマクレールが人で溢れかえっていました、こんな光景見たことない !
左も右も前も斜めも、
しっかり埋まっていたので、
申し訳なさそうにこそこそと
音を立てずに書いたのですが

後で一緒に観た彼に聞けば、
「家に帰って残った言葉を書く方が良くない?」って
とぼけたような ぼんやりしたやような 不思議な顔で
そういうもんですか?
言葉はうたかただから
その瞬間に 強烈に 感じたことは
消えてしまうから
書かないなんてもったいなくてもったいなくて
わたしはケチな人間なのかもしれない


--------キリトリ線--------
あやかって
わがまま二スト こだわり二スト
わたしも顕信がうらやましい
生き急いでて うらやましい

1つ1つ 言葉に丁寧に向き合いたい
世捨て人
幻覚が見えるようになった
俺はもう終わりだ


彼はとっても恵まれた人のように思う
飄々として しなやかに
口の端に笑みを浮かべて
そこはかとなく熱く
家族の献身的な支えは全員が受けれるものではないし、だからこそ
彼の「病気に感謝している」
の言葉が、本心なのか、強がりなのか、
悟りなのか、それとも全部なのか
気になるところでした

終わったあとに思い立って!
喫茶エトワールへ
顕信の座った席で、どうして中学生の彼を登場させたのかについて語りました
別に顕信の生涯記だけでも良かった

相手はうるさいくらいに
「過去から現代へのバトン」を繰り返し
わたしがまた、と笑うと
「バトンって言葉は変えた方がいいかな」

つまり、彼の存在(俳句)が、
中学生の彼の補助になったのではないかと
俳句とは、物事を、世界を整理するものであり
混沌としていた彼の日常を添え木のように導いた
彼の俳句は定型に留まらない、茶目っ気があったので、なおわたしはそうだといいなと思いました

映画の考察に留まらず
いろんな飛躍的な話を語る私達を
マスターは少し物珍しげな耳でみてたけど

『気の抜けたサイダーが僕の人生』
君の感受性は君のもの
誰に馬鹿にされたって君のもの
ずぶぬれて犬ころ
間違ってないぞ、少年!!!!!!!

いいものを見せてもらいました
まろ

まろ