映画がはじまり、映画が終わる、それは退屈な循環のようでいて、瞬間瞬間の息吹を味わう蘇生術の時間でもあるのだということをみていた
なぜ、こんなに集中して、キアロスタミの画面を見続けてしまうのか、ということが不思議でならない映画であり、なぜ、画面をみるのかということを、きっと深く考え抜いていることが、自己言及的な美を漲らせていて、それが迫るものがあるんだろう
結局やりたいことは、戦争なんだと思う
イランのことを知らなさすぎてわからないけど…
くねくねくねくね工事現場の道を走る車、土と石を降ろすダンプカーの物質性と、そこに生きる人が、映画にちゃんとなっているのは本当にすごいと思う