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四月の永い夢のgogotakechangのレビュー・感想・評価

四月の永い夢(2017年製作の映画)
4.0
何かを失うと、それまで保っていた気持ちの水位が下がってしまう。
どんなに高波が押し寄せても、渦潮がうねりをあげても、必ずもとの位置に戻ってきていたのに、今までたまにしか拝むことのできなかった、明らかに色合いの違う岩肌が常にむき出しにされてしまう。
穏やかな波に日差しがきらめくゆったりとしたひと時でさえ、その岩肌に浮かび上がった、くっきりとした色の境目を見るたびに、低くなってしまった気力を確認してしまう。
「いずれ時間が解決してくれる」念仏のように唱えながら、毎日の習慣のようにその岩の見える丘に立ち、開いた傷口に自ら塩を擦り付ける。わざと傷の治りが遅くなるように。

急に元の水位まで上げることは不可能だ。それは長い時間をかけて、誰かと、あるいは何かと一緒に引き上げてきたものなのだから。
今見えている岩の形が現実だと受け入れることが大切なのだ。

誰だって分かっていること、至極当然のことなのに、次の日にはまた同じ丘の上に立ってしまう。

何かを始めなければ何も変わらない。だから始めてみるものの、変わらぬ水位に毎日へこたれ、空回りが続き、またもとに戻ってしまう。
そんな否定的なことばかりを勝手に想像し、始めもせずに終わらせる。

「誰なんだオマエは?」

そんな悪い夢を耳元で囁くヤツ、それは、他ならぬ自分自身。

自分を信じられなくなると周りが見えなくなり、生きてるのか死んでるのかわからなくなってくる。
生きてる実感を噛み締めながら日々を過ごしているのは、不治の病に侵されたり、戦場で逃げ惑ったり、常に死と向き合わざるを得ない状況の人間だけのはずでなのに、それを欲しがってしまう。

おそらく、救い出してくれるのは他人だけ。暗闇の中で見えなくなってしまっていた、傍らの他人の存在に、いつかきがつく時が来る。

自分ばかり見つめていても、目をつむっているのと同じで、闇が広がるばかり。外に出なければ、誰とも出会わない。

だから、何かを始めなければ、始め続けなければ、光は見えてなこないのだ。

なんてことを考えながら、新宿のタバコの吸える喫茶店でプカプカ。
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