stanleyk2001

金子文子と朴烈/朴烈(パクヨル) 植民地からのアナキストのstanleyk2001のレビュー・感想・評価

3.7
『金子文子と朴烈』(박열).2017

金子文子の最終弁論「私はパクの本質を知っている。そんな彼を愛している。彼における全ての過失と全ての欠点とを超えて私はパクを愛する。お役人に対しては言おう。どうか二人を一緒にギロチンに放り上げてくれ。パクと共に死ねるなら私は満足しよう。そしてパクには言おう。
たとえお役人の宣告が二人を引き分けても私は決してあなたを一人では死なせてはおかないつもりですと」

金子文子「生きるとはただ動くということではない。私の意思で動いた時、それがたとえ死に向かうものであろうとそれは生の否定ではない。肯定である。彼と共にあった三年間、私は生きた」

韓国語の原題は『朴烈』だけど映画ではパクと金子文子はほぼ等分に描かれているから邦題『金子文子と朴烈』のほうが相応しい。

「犬コロ」という朴烈の詩に感銘を抱いた金子文子は一緒に暮らそうと押しかけてくる。

明るくて行動的で恐れを知らない金子文子をチェ・ヒソが好演している。とてもチャーミングだ。

1923年9月1日関東大震災が発生。「朝鮮人や社会主義者が暴動やテロを実行するかもしれないので注意する様に」という内閣府の通達で日本各地に自警団が結成されて朝鮮人を虐殺した。

この通達を出したのが朝鮮で独立運動「三・一運動」を弾圧した水野錬太郎。

アナーキスト朴烈(パク・ヨル)は仲間達と進んで世田谷警察署に出頭。身柄は所轄の檻房に自ら収容された。朴烈と同棲していた金子文子も同じ世田谷警察署に進んで収監された。

自警団が警察に押しかけて檻房の中の朴烈達を殺そうとする場面はとても恐ろしい。日本人はこんな卑劣で悪質なことをしたのかと愕然とする。

朝鮮人や社会主義者が組織的なテロや暴動を起こした事実はないのに内閣府と水野錬太郎は自警団の虐殺を黙認する。このどさくさにめざわりな朝鮮人や主義者を始末してしまおうという陰謀なのだ。

水野錬太郎は朝鮮人達を震え上がらせるための生贄が必要だと考える。そこで「不逞社」という団体の代表朴烈を爆弾を使って裕仁皇太子(昭和天皇)を暗殺しようとしたという大逆罪の罪を着せて処刑して朝鮮半島の支配を強めようとする。

ところがこの企みは裏目に出る。

検察の捜査で爆弾を入手すらしていなかったことが明らかになるが水野錬太郎は強引に大逆罪で起訴しろと検事に迫る。

やってもいない罪で起訴された朴烈はなんと「爆弾を手に入れて皇太子を殺すつもりだった」と進んで罪を認める供述をする。

朴烈は裁判が報道されて大震災の虐殺が世界に伝わる事を狙った。

裁判を引っ掻き回す朴烈と金子文子は痛快なトリックスター。翻弄される裁判官の姿が痛快ではあるのだが「韓国人が日本の法廷を弄ぶ」姿に不愉快さも感じる。私の中の根深い差別意識を発見した。

映画は朴烈と金子文子に判決が下り字幕で朴烈が1974年に亡くなった事を映して終わる。

朴烈は刑務所に収監された後、転向して大日本帝国に従うことを誓った。大日本帝国の宣伝もした。

戦後は反共主義者になった。朝鮮半島に帰ったが朝鮮戦争で北朝鮮の捕虜になり洗脳されて共産主義者になった。最後はスパイの疑いをかけられて処刑されたらしい。

金子文子の最終弁論の中の「彼における全ての過失と全ての欠点」は脚本家が転向に次ぐ転向をした朴烈のその後の人生から書いたセリフかもしれない。

映画で描かれた三年間は朴烈と金子文子が大日本帝国を翻弄した輝かしい時代だ。

転向して大日本帝国の片棒を担いだその後を描かないのはどうなのかなとは思った。
stanleyk2001

stanleyk2001