このレビューはネタバレを含みます
ちょっとした「冬ソナ」類型映画。
ともかくキャスティングが良いと思います。
亮平と付き合いはじめた時に誰しもが「これは絶対麦に逢ってしまう!」と予想できる。てか逢わなければドラマにならない!(笑)
ただしどうでしょう。誰しも自己の青春時代には誠実に向き合いたいもの。掛け値なしに青春を共に過ごした相手に原点回帰してもおかしくありません。オリジナルはやはり「麦」なのです。しかも悲しいかな亮平にはアートを好む感性がない。女性にとってこれは大きなマイナス点ではなかったでしょうか。おそらく麦が健在で、さらにタレント活動している事実を知るや観客は強固に亮平に肩をもつ姿勢に傾くはずです。
麦との実際の再会はやや唐突であって、彼のセリフは演出上軽薄な調子です。これは伏線になっている気もしますが、私は理不尽ではありますが、あのまま麦についていってもそれはそれで幸福だった気がします。
しかし人の不幸に上に幸福は築けません。彼女にとって「亮平ロスト」のほうが重大だったのです。彼は帰還した彼女を当然のように突き放しますが、ラストの河の濁流を亮平は「汚い」といいますが朝子は「きれい」と云います。自分に正直に生きることはときに濁流のような様相にもなります。朝子は自己で乗り越え成長した証ともいえる表現を口にしたのだと思います。
これは栄子が恋人と朝食を一緒に食べるためだけに新幹線で東京に行った青春の一コマを語りますが、実は婚姻を結んだ夫とは別の人であった告白とも重なります。
ただし喪った恋人に未練と恋慕を寄せるのは男性に多い傾向があるので、「現在に生きる」傾向が強い女性として朝子は珍しいタイプなのかもしれません。