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寝ても覚めてもの海のレビュー・感想・評価

寝ても覚めても(2018年製作の映画)
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以前、東京で育った人と話をしたときに、東京の道端で誰かが倒れたり泣いていても誰も立ち止まらないのは、声をかけてしまったことによって面倒なことや犯罪に巻き込まれてしまうことがあるからだと言っていた。だからそれは、さみしいことや、冷たいことなんかじゃないんだと。実際のところどうなのかは知らないけれど、そのとき罪を弁解でもするように喋るその人を見ながら、わたしは、きっといつまでもこの人とはこんなふうにすれ違い続けて分かり合うことはないんだろうなとぼんやり思っていた。わたしの話すことに何でもわかるよと言っていたその人は、分かり合うことで互いの間にある寂しさを埋めようとしていたのだと思う。でも今思えば、わかるよというその言葉一つでさえ、わたしとその人のあいだにある、確かな溝だった。亮平は、「電車止まってるって」と繰り返す乱暴な声に耳を貸し、道端に座り込んで震えていた女性に声をかけ、ハンカチを差し出し、受け取られることのなかったそれを迷ったあげくふたたび内ポケットにしまった。「止まらないで進んでください」という注意と、そのとおりにそれぞれ目指す方向へひたすらに歩き続ける人々の中で、二人は立ち止まる。誰一人止まろうとはしない街で、流れ続ける人混みの中で、二人だけが立ち止まる。 この世には、人の数だけ、その倍だけ、もっと多くの、世界が存在して、完璧な運命の出会いなんて、完璧でもないし運命でもないことのほうが多い。でも、こんなふうに決して忘れることのできない、あなたとしかできなかった、わたしとあなたのあいだでしか息吹くことのなかった時間っていうのは、たしかに本当に、存在する。麦と朝子の出会いは運命だった。でもそれは、朝子が海を見なかったあの選択の瞬間から、ただの偶然へと変わった。名前をさけんで、ドアをたたいて、好きだよと泣いて、猫を抱いた。彼の横顔が、彼女を信じられないと言った。それでも許さないとは言わなかった。潮の匂いの代わりに、古い家の匂いがあって、波の高い海の代わりに、きたなく濁った川がある。今まで大切に抱え続けてきた正しさとか未来とか運命とか痛みとか全部が、もうどうでもよくて、もうどこにもない。これ以上行けないって思えるまであなたと行って、もうここからどこへも行けないって思えるまであなたと帰ってきた。あなたと、あなたじゃない全部に、世界はわかれて、そして混じって、ことばなんて要らない、わかり合うことなんて、わたしたちには必要ない。変わらないこととか、変わり続けることなんかじゃなく、変わらないあなたも、変わっていくあなたも、あなたであるということだけが大切だった。もう優しいだけじゃない指先も、いつか目尻とかくちびるの端に、たくさん小さな皺をつくるはずのその顔も、それでも、わたしのことを変わらずに呼ぶその声も、ここからずっと見てる、聴いてる。わたしのままで。「わからない」って何度困らせても、わたしはわたしのままで、あなたが好きよ。

2019/4/17

震災のあった夜の亮平と朝子を見ながら、好きだった人のことを思い出しました。わたしとあなたの世界に居る神さまは、わたしとあなたのそのちょうど真ん中だから、ただほんとうに、お互いを感じる心の表面の、繊細さ、だった/2020
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