kumao

さよならの朝に約束の花をかざろうのkumaoのネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

素晴らしかった。今このタイミングで見ることができてよかった。

個人的にこの映画から感じ取ったテーマは、母(と子)、そして孤独。





主人公は、10代の若い姿のまま老いることなく数百年生きる種族イオルフの少女、マキア。

「外の世界に出ても、誰も愛してはいけない。」

彼らは僻地で外界と関わることなく暮らしていたが、突如その平穏は長寿の血を狙う人間に壊されてしまう。その侵略から逃げ延びる途中の森で、マキアは人間の赤子を発見する。

マキアは運命的に赤子を母代わりとして引き受け、赤子にエリアルという名前を与える。
そして、時には人間に手を差し伸べられ、またある時には余所者として排除され、それでもエリアルを育て、エリアルと共に懸命に生きていく。

"母"とは何か。そして誰かを愛してしまった先に待ち受けるイオルフとしての運命を迎えたとき、少女は。





人とは厄介で、孤独を恐れると同時に孤独を求める生き物だ。
それくらい孤独は否応なしに人に寄り添い、それはほとんど宿命として我々を翻弄し続ける。

やがて大人の容姿に近づいていくエリアルに複雑な思いを抱きながらも真っ直ぐに彼を守ろうとするマキアと、成長していくにつれマキアに対し母として接することに違和感を覚えていくエリアル。

運命、そして人々に翻弄されながら、その実は母とも子とも名状しがたい関係の中で、それぞれが確かな愛情を積み重ね、やがてそれはすれ違う。

だが、血の繋がりの有無はもちろん、茫漠な時間や、いずれ決定的に訪れる悲しき運命でさえも、二人の結びつきを断ち切ることは、ついになかった。

と、思う。

未知/既知の何かを恐れるがゆえの孤独も、誰かを愛したために必然的に訪れる孤独も、実は忌むべきものではないのかもしれない。

孤独を、無慈悲な摂理として我々に襲いかかる災いと捉えるか、人が幸せを生きるために人同士を結びつけるたつきと捉えるか、それは自由だ。
kumao

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