鮭にゃん

さよならの朝に約束の花をかざろうの鮭にゃんのレビュー・感想・評価

1.4
個人的には最低でした…。気持ちが悪く、二度と観たくない…。
私にとっては、「理解できない」&「心が動かない」の塊でした。

期待していただけに、正直ショックでもあります。
「岡田麿里らしい気持ち悪さ」でも無い気がする。

……が、世間的にはここまで高評価なのですね。びっくり。
自分でも、何がそこまで無理だったのかを理解するために書きます。

▼低評価のポイント▼
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【1.エリアルが、育ての母親に対して恋愛感情を抱くところ】

生後間もない頃から育ててくれた「母」と呼ぶ存在に恋愛感情を抱くエリアル。
正気の沙汰では無い。

エリアルが「こんな感情(=邪な気持ち)を抱いてしまったら、もう俺には……」と切なそうに嘆くシーンも、気持ちが悪かった。

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【2.「どうすれば母親になれるのか」=「何が母親たらしめるのか」という作中での問いかけに対する答えが、結局無いところ】

マキアも、ずっと自問し続けていた点。どうやったら、「母親になれるのか」と。
作中には色々な「母親像」が出て来る。中でも以下の二人について考えてみた。

~母親像①マキア~
個人的には、マキアが問いの答え=【拾い子だとしても、育てる事で親になる】と思っていた。

が、エリアルに恋愛感情を抱かせてしまった為「母親にはなれなかったね」と悲しむマキアのシーンで、
どうやらこれは答えでは無いのか?と考えさせられる。

直後、去り際のマキアに対してエリアルが「母さん…!」と呼ぶことで、やっぱりマキアはちゃんと母親だった!
という流れになる。
つまり、それが今作としての問いの答えなのだろうか。

だが、エリアルが「母親」と認識するのではあれば、
なおさら「エリアルは母親に欲情した」という話になってしまう。
個人的にはそれはかなりの地雷だった。

~母親像②レイリア~
一方、自らが産んだ子とずっと会わせて貰えなかったレイリア。
【育てたワケでは無くても、産めば母親なのだ】という話なのかと思うと、これもまた少し違うらしい。

根拠としては、レイリアが「娘に会いたがっていた」理由が
「仲間が全員死んでしまったと思い、娘の事を考えるほか無かった」と語った事。

望んで産んだワケでは無い自分の子供。本来ならどうでも良かったはずだが、
「他にすがる存在が無かったから会いたかった」らしい。

……そんな利己的すぎる理由、私が娘だったら許せそうにない。
自分本位でしかない。まさに毒親だ。

去り際に、娘に「私の事は忘れて!私も忘れるわ!」と叫んでいくのも、どうかしている。
少なくとも、娘は母親を心のどこかで求めているような描写が多かった。
そんな娘に対して、この母親の去り際を用意するのは筋書きとしていかがなものか。

そんな適当な伝え方で、割り切れるワケがない。
生まれながらに抱いてきた、会えない親への感情を。

ところが、作中での娘は晴れやかな顔をしている。
「お母さまってキレイなひとなのね」などと言っている。鋼メンタルが過ぎるだろう。

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【3.執拗に「母と子の絆」で観客を泣かせようとしてくるところ】

結局、問いかけられていた「母親らしさ」は不明瞭なまま、作品はラストに向かう。
「母親らしさ」など存在しない、というアンチテーゼなのかと思いきや、
エリアルとの最期別れでは、実にステレオタイプな「母子らしい」やり取りの走馬灯で泣かせにくる。

子であるエリアルを想ったり、守ろうと奮闘したり、エリアルの成長を見守ったり。
「母親は子を守る」「母親は泣かない」等。

「母親らしいことはできなかったけど母親である」「母と子の絆」という事なのだろうが、
当のエリアルはその母親に欲情していた過去を持つ。
「欲情されていても、母親は母親」という事だろうか。理解しがたい。

では、「母親にはなれなかったが、二人の絆は永遠」という事だろうか?
そう考えると確かに、親子ではないが、二人の過ごしたい出の走馬灯は泣けるシーンなのかもしれない。

……じゃあ、なぜエリアルに「母さん!」と呼ばせた?なぜ、「母と子」のようなシーンばかり見せてくる?という話になる。
それに、登場人物からは明確に「母親であった事」を否定する発言は無い。

という事は、やはり「マキアは母親で、エリアルは子だった」という事なのだろう。
(事実、多くの観客がこのシーンを親子の絆の泣けるシーンとして消化している。作品がそういう作りになっていたからだろう。)

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※個人的には、マキアは育ての親として、ちゃんと親をしていたと思う。本当に偉い。
でも、子であるエリアルが、その母親に欲情している。

その要素がとにかく邪魔で仕方がない。

これで、マキア自身もエリアルに対して恋愛感情を抱いていれば(理解はできないが)納得はできる。
合意であれば、当人らの自由なので。

でも、マキア→子には恋愛感情は無い。ちゃんと「母親になりたかった」とマキアは嘆く。

だからこそ、エリアルの恋愛感情は、
マキアに対する裏切りでしかないと感じてしまい、許せないのだと思う。

エリアルがマキアから離れる理由が、恋愛感情である必要があったのか?
……が、時々Xでの創作でも「拾った子供&魔女」の恋愛モノがバズるので、
そういう性癖の作品なのだと思う。……そう思うしかない。

(でもこういう作品は、魔女も合意の上という感じがする。「母親になりたがっていたのになれなかった魔女」はまず見ない)

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【4.とにかく矛盾が多く、何が言いたいかわからないところ】

結局、問いに対して、何が言いたかったのかさっぱりわからない。
だったら最初から、「どうしたら母親になれるのか」など問いかけしないでほしかった。

「再三繰り返して、テーマのように見せかけて、
結局ぐじゃぐじゃにして終わらせる。…でも観客は泣かせたい!!」という作品なのだろうか?

泣かせたいシーンの押し売り感と、問に対する矛盾の連続。
理解するのに必死で、全く泣けなかった。

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【5.「母親は泣かない」の繰り返しがうるさい】※これは余談

母親だって泣いて良い、と言ってほしかった。
確かに「親は強くあらねば」と奮起するのはすごく尊い事。…だが、なぜ「母親」と固定するのか。
誰も父親に対して触れないのも不自然。父親はどうした?

とはいえ、本作は「男は外で働き、女は家を守る」という世界のようなので、
まぁ…そこは許容。ゾーニングであると納得した。

どちらかというと、そこに疑問を抱かず感動している意見が多い事の方が不快でした。(作品には関係なくて恐縮)

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▼総括▼
「エリアルが母親に欲情」が、個人的にはにとにかく邪魔な要素だった。
「リアルな人間模様」「リアルな心情描写」に見せかけて、矛盾が多く、ハリボテでしかないのが無理だった。
リアルな内容で作るなら、もっと時間尺を取るなりして、丁寧に描いて欲しい。すべてが中途半端。
鮭にゃん

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