ニューヨーク公共図書館は、私にとって
「BANANA FISH」で知ったNYPL
・・・いい夢みたいね。と見過ごす 司書らしき女性と
走り出す子どもを諭す 母の声が聞こえるすぐ横で
英二からの手紙を握りしめ 微笑むアッシュ・リンクス
ものすごく平和な景色の中で
彼が息絶える、という
強烈過ぎるラストシーン
2009年「パリ・オペラ座のすべて」
2014年「ナショナル・ギャラリー 英国の至宝」
どちらも、フレデリック・ワイズマン作品なのよね。
なんつーかこの方、余計なモン入れずに記録してくのが上手すぎて、すんなり観れちゃうところがとても好き。
(音楽もつけないから余計にね)
「BANANA FISH」ではNYPLはニューヨーク市立図書館と呼ばれていて
ごくフツーの図書館ぐらいに捉えてたけど
図書館、なのに観光名所って時点でフツーじゃないよねw
ストリートキッズでも日本から来た若者でも受け入れちゃう受け皿の広さ。
途中、ホームレスに対しての議論があり
どう対応するか、の前に
NYPLにやって来る彼らと
共に、どうするか?
・・・を見てるんだ!と感じて
思わず唸った。
誰一人、切り捨てもしなきゃ見放しもしないのか!とね^_^
それはもちろんホームレスだけにとどまらず
ネット難民へも
就職難民へも
偏見と差別と戦う人へも
子育てに迷う人へも
スタンスは同じ。
一緒に、共に
何ができるか?
・・・カーネギーの精神、ここに極まれり。といったところだけど
事はそう簡単には運ばない
考え、議論し、決めていかなきゃならない事は、山のようにある。
その過程に、まるで透明人間か幽霊スタッフかのようにカメラが入り込んでいるのだから、面白くないわけがない!
…これ、ホントの世界だからね。
と、無言のうちに念を押されてるかのようだよ。
それが、目指す世界への道のり、道半ばだとしても。
「アメリカの良心」とはジェームズ・スチュアートだけど
NYPLは「ニューヨークの良心」と呼んでもいい場所なのではないかしら。
後半、スタッフミーティングの中での話
“点を線に変える”が印象的。
「また次の企画か、と考えないで。
全部つながっているの」
これも、それも、次も、その次も
ぜんぶ、全部。
点を線に変える
「図書館は民主主義の柱」…次の一手は必ず、つながっている。
この場所が
Public(公共:誰にでも開かれた)場所である限り。
誰一人、見放さない場所というヴィジョンを持ち続ける限りね。
(NYの街を走り続けた“奇跡のような生”が、安堵の眠りにつくには、おあつらえ向き過ぎる場所なのねT^T)