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イカロスの3110133のレビュー・感想・評価

イカロス(2017年製作の映画)
3.8
形式が内容を含んでいるという例として

去年から運動不足解消や落ちた体力の改善を目的に自転車に乗り出した。
住む場所のそばにはサイクリングロードがいくつか整備されていて、あれよあれよとロードバイクにはまった。
自転車レースの中継やら弱虫ペダルやらをみるなかで、なんの気なしにこの作品を観た。

本作は、ブライアン・フォーゲル監督がアマチュアロードレースに参戦するなかで、いくらトレーニングを積んでも同じカテゴリーのトップ選手たちには歯が立たないことに疑問を抱き、自らドーピングを試みようとすることからはじまる。
ロシア反ドーピング機関所長グリゴリー・ロドチェンコフの協力を得ることになるのだが、だんだんと本来の目的から離れソチオリンピックでのロシアドーピング問題に巻き込まれていく。

ドキュメンタリーとして、国家ぐるみでのドーピング問題の中心人物であるグリゴリーと深く関わり、重要な証言をえている点、その人間性を描き出している点からも優れたものだと思うが、
もっとも興味深かったのは、この作品の形式が作品としての内容を含んでいるということ。

この作品に限らず、アメリカのドキュメンタリー作品をみると「わかりづらさ」を抱くことが多い。
映像の時系列がバラバラであったり、コンテクスト不明なシーンが突然インサートされていたり。それはそれでスタイリッシュだったりするので、
シンプルに記録としての目的を果たすということよりも、映像作品としての快を優先しているのだろう。その結果、記録物としては「わかりづらい」ものとなっている。

この作品も例外にもれずわかりづらく、そういった形式なのだろうと思ってみていたのだが、話が進むうちにこの「わかりづらさ」が作品の内容を含んでいるのではないかと感じはじめた。
何が起こっているのかよくわからない、情報が断片的、みていて不安な気分になるこの形式は、ロシアのドーピング問題、プーチン政権の不気味さそのもののように感じる。
実際に監督が得ることができた情報は断片的で、よくわからない状況だったのだろう。ただ、大きなものが蠢いていて、命の危険が迫っている。

作品の「内容」とは明示的に語られる情報だけではなく、形式が暗示するものも含んでいるのだとしたら、この作品の内容にはこの形式が不可欠。

過剰な説明や理解のしやすさ、「表面的なわかりやすさ」はなにかをスポイルする。わかりにくいものは表面的なわかりやすさに簡単に覆い隠されてしまう。
わかりにくいものをみるには、それなりの作法と神経を要求する。それは暗闇に朧げに見えるもの、気配や臭い、肌触りのようなもの。表面的なわかりやすさに目を灼かれないようにすること。暗闇に目を凝らすように。


この作品をみてほどなくして、ロシアはウクライナに侵攻をはじめた。それぞれの言い分はイデオロギーにまみれていて、この作品をみる限りでもロシア政府側の言い分が信用できないのは明白なのだが、それにしてもいわゆる西側の言い分もずいぶんとわかりやすいこと。

といったことを自転車で湖のまわりをぐるぐるとしながら考えた。周縁をいくら走っても、湖の真ん中にはけっして辿り着けないのだけれども。
先日、川の上流に向かって走ってみた。沢はいくつにも別れていて源流をひとつに同定するのは難しい。
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