これはまたどエライ名作きましたね。全く「すっきり」はしませんが、一筋縄では行かない、人間のややこしさを描きつつ、「強い女性」が出てくるという点において、ちょっとポールバーホーベン監督っぽさを私は感じました。
ここから先、ネタバレしまくりとなります。
「怒りが怒りを来す」というのが、大きなテーマとなっているわけですが、それをぶん投げっぱなしにもしないし、「やったー」という単純なハッピーエンドにもしないところが本作の魅力なのですけど、収斂のさせ方が凄まじい。
まず、怒りの発端となる娘をレイプ殺害された母ちゃん(ミルドレッド)ですが、この矛先とされる旧所長が全く悪い人として描かれない。もしかしたら、癌によって余命幾ばくもない状況になって、旧に改心したのかもしれないけれど、少なくとも作品内では、かなり善良な警察署長なわけです。
この時点で、怒りの矛先と怒るべき対象のミスマッチが起こってるので、既に捻れてしまってるので、「デートムービー」として使ったリア充の脳内は大混乱ですよ! ざまあみさらせ! 取り乱しました。話を元に戻します。
そんで、署長はまだしも、ジェイソン、こいつが行動から何から悪党の極みみたいな輩で、「あ、かいつを懲らしめる的な方向で感情移入してけばいいのね」と、私らアホな観客は思うわけですが、そうは問屋が卸さねえ。
仕事をしていると、いつも「結論から言え」などと言われるので、結論(ラスト)から語ります。結局、「怒りの連鎖」は止まるわけですね。しかし、この止まり方が凄い。
まず、母ちゃんの怒りの発端となった署長の「遺書」がキーとなってるんですね。これは、ほんとに署長が「元から良い人」だったのかわかりませんが、こいつの「胸を打ついい遺書(手紙)」が、警官(ジェイソン)を改心に導いた。これが「怒りの連鎖」を止める役割を果たす。そもそもの怒りの発端となったのはこういう警官なのに!
一方、母ちゃんは母ちゃんで、「自分が正義と思うもの」に基づいて、側から見たら無茶苦茶な「善」の道を突き進む。ところが、小さいおっさんとの食事のシーンで、「私が忌み嫌っていた差別主義者の警官と自分は一緒じゃないか?(ちっこいおっさんを差別してるではないか)」と気づいて、これが「怒りの連鎖」を止める方向へ導くわけです。ありがとうちっこいおっさん!
酒の瓶を持って、旦那の元に歩いていくシーンで、「こりゃ、瓶で殴りつけるかな? 19歳の相手の方を殴るかな?」とか、アホな観客の私は思ってハラハラしてた訳ですが、ちっこいおっさんのおかげで、ここで「怒り」を収めるんですね。
そしてクライマックス。「警察署に火つけたの私よ?」と告白する母ちゃん。ここでも怒りの連鎖を止めるわけです。ジェイソンはもう怒らない。結局、最終的に「怒りが怒りを来す」を止めたのは、怒りのきっかけとなるような警官だったジェイソンであり、当初、怒りの矛先であった旧署長の手紙なわけですね。脚本が凄すぎる。
結局、差別の問題とか、警察の何だか怪しいところとか、根本的な問題は解決していないけれど、ちょっとした「自分の考える正義とはズレるかもしれない善意」によって怒りの連鎖が止まったわけです。
しかし、一見「善人」とも思える新署長が下した「結論」が、「本当に真実なのか?(お前も何かしら裏に抱えてないか)」とか、「モヤモヤ」する部分も残ります。
差別などの社会問題、いろんな人が「俺の考える正義」に基づいて「善行」を行った結果、争いや怒りを生む…だけど、ちょっとしたきっかけで怒りの連鎖が止まったりもする。そのきっかけは「偶然」かもしれないし、勇気ある行動かもしれない。
ともかく凄い映画です。