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007/ノー・タイム・トゥ・ダイのYNのネタバレレビュー・内容・結末

2.9

このレビューはネタバレを含みます

わたしは007という作品にもジェームズ・ボンドというキャラクターにも特に思い入れがない。なのであくまで2021年公開の新作映画のひとつ、として感想を書く。
(ちなみにダニクレボンドは一応一通り見ている。それ以外だと「ロシアより愛を込めて」と「ゴールドフィンガー」くらい)

「ノー・タイム・トゥ・ダイ」の率直な感想は「中途半端だな」だった。
アクションは良かった。細かいところだが、冒頭のヴェスパーの墓爆破からの耳鳴り演出とかも好き。
だけど、ストーリーはなんだか今ひとつピンとこない。いきなりマドレーヌを疑うボンドも「愛しがいのない男だな!」ってなるし、サフィンの心情も動機も「はあ……」という感じ。話に乗れないまま最後まで行ってしまった。

しかしもっとも中途半端だと感じたのはラストの展開だ。
これまでのボンドを網羅してはいないが、「色男で軽薄さもありつつカッコ良い」みたいなイメージはわかる。そしてダニクレボンドはそれを踏襲しつつもズラそうとしてきたということも。
ダニクレボンドはそこまでマッチョじゃない。軽薄じゃないし、女性と関係を持つが誠実さもある(現にマドレーヌをパートナーとして扱っている)。
マッチョではない男の幕引きとして、今回の「自己犠牲の死を選ぶ」というのはとてもミスマッチだ。それをするのであれば、一部の批判を覚悟で最初から「古臭いマッチョ男」としてボンドを造形すべきだった。
ボンドが感染したナノボットが対全人類なのか対マドレーヌの遺伝子なのか(わたしは後者かと思ったのだが)わからなかったが、いずれにせよこのご時世、他者との身体的接触などなくても生きていける。映画の制作はコロナ前ではあるが、当時だってリモートワークは盛んだったし、何よりもう今、我々はそれを知ってしまっている。
それなのにあそこで死ぬ意味がわからない。ボンドもマドレーヌも悲劇に浸って、はいはい楽しそうですね、と寒い気持ちになる。
完全隔離でも生きていけるし、生きていればナノボットを無効化する技術が開発される可能性は非常に高い。だってあんな荒唐無稽な兵器が存在する世界線なのだから、Qがそのうち無効化するワクチン作るでしょ絶対。
ダニクレボンドがこれまで目指してきた(と思う)「ある程度しなやかで柔軟なボンド」の世界線であれば、ボンド本人か、マドレーヌか、もちろん新007のノーミでもいい。誰かが「悲劇ぶってないでとりあえず生きろ!」と言うべきなのだ。悲劇的な死が美しいと言う価値観はマチズモに他ならないのだから。

全体的にやりたいことがしっちゃかめっちゃかな印象だった。ノーミやパロマのキャラクターはいかにも「現代的」で、やはりかつての007の世界観からズラそうという意思を感じる。でもノーミが「007」を返還しようとするのは、その数字にこだわる古い価値観の踏襲だ。
パロマはとても魅力的なキャラクターだが、その魅力の割に登場時間が異様に少ない。それは「007にはボンド・ガールを出さなければならない」という(物語の外側に存在する)ノルマクリアのためのキャラクターだからだ。しかも今回はメインヒロインとして前作のマドレーヌが続投しているので、ボンド・ガールだがボンドとのロマンスはなし、と中途半端な形になっている。積極的な理由でボンドと恋愛しないボンド・ガールであれば意義があるが、そういう消極的な理由なのは尚悪いという気がする。

マッチョ男を否定したいわけではない。どっちにしたいのかはっきりしろと思う。
現代の価値観にはそぐわないマッチョ男だけど、彼の美学の美しさは否定できない、という筋が通っていれば、今回の結末はとても美しかっただろう。
現代の価値観でも好まれる、しなやかな男として新しく造形しなおしたいなら、ボンド・ガールという因習の解体や、可能性に賭ける(良い意味での)生き汚なさみたいな「旧来的な感性ではカッコ悪いもの」もきちんと表現すべきだった。
結局、「そもそも21世紀にジェームズ・ボンドというキャラクターを描くの、もう無理があるんじゃない?」と思う。ジェームズ・ボンドという記号はあまりにも時代性を背負いすぎている。
とはいえ、これは製作側の落ち度かというとそういうわけでもなく、商売として顧客のニーズに応えなければならない側面からどうしようもなかったのではないかとも思う。

今後も007があるのかわからないが、せっかくノーミという新しい007を誕生させたのだから、彼女の物語を、今度は思い切りやりたいようにやってみてほしい。ジェームズ・ボンドという記号からは自由になるわけだしね。
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