このレビューはネタバレを含みます
ネタバレなしに語ることはできない。
クレイグ版は「人間」ボンドを描いてきた。ゆえに彼の死は潔くもある意味当然の帰結といえる。しかし周到に用意された物語とは言い難く、前作の設定を流用した「泣きのもう一作」の域を出ない。
女と懇ろになって世界を救うという能天気さが従来のシリーズの売りであった。古典としてならば現代でも通用するだろう。しかし新しさを提示しないと生き残れないのもまた娯楽映画の常だ。手垢のついたスパイものというジャンルにおいてクレイグ版で活路としたのが人間味だったのだ。
ところが、クレイグ版で描くべき物語は前作までに語られてしまった。1.喪失 2.放浪 3.復活 4.矜持。4で古典的ボンドの矜持を見せた時点で終わるべきだった。何なら3で余韻を残したまま終わっても綺麗だ。
残す命題は「家族」や「友情」くらいしか残っていない。あるいは一周まわって「喪失」になるかもしれないと思っていた。
ところがそれらをダシにして「死」を選択したのだから驚きだ。ボンド映画なのだから、いわゆる死亡フラグが立たないのは当然だとして、死ぬ理由として家族を描きたかったのであればあまりにも物語が薄い。
マドレーヌの過去は取ってつけた感が拭えず、サフィンもスペクターを凌駕する組織を率いるようには見えない。娘との交流もほぼない。よってボンドの死の理由が見当たらないのだ。後腐れのないようにクレイグが結末に注文を付けたのではと勘繰ってしまう。
新007、パロマのお色気、フェリックスとの死別、DNA細菌兵器など見所は多い。シンメトリックな構図やカメラワーク、ハンスジマーの音楽、アクションなど映画館で見るべき多面的な一本として楽しめる。娯楽スパイ作品の横綱相撲としてこの上ない。
だからこそ安易に死を選択してほしくなかった。ボンドを永遠にしたかった作り手の意図はわかる。しかし贖罪として死を選ぶのには動機が弱い。触れることのできない身体が必ずしも死を意味するものでもない。ノータイムトゥダイだからこそ生きて人生を全うするのが本当の贖罪なのではないだろうか。どうしても大人の事情で殺されたようにしか見えないのだ。
死んだ直後にJames Bond will returnというのも何だか冷める。まぁフランチャイズだから仕方のないことなのだけれども。
とはいえここまでボンドを演じ切ったダニエルクレイグには敬意を表したい。本作は率直な彼らしい観客への餞別だったのかもしれない。