ずどこんちょ

タクシー運転⼿ 〜約束は海を越えて〜のずどこんちょのレビュー・感想・評価

4.1
軍の暴力が、丸腰の市民に容赦なく襲いかかる。
軍に撃たれ、負傷した市民を助けに向かった市民がまた凶弾に倒れる。白旗を挙げた市民であっても容赦なく撃ち抜く。こんな一方的な殺戮が存在して良いわけがありません。
しかし、これが私が知らなかった本当に起きた出来事です。

韓国で1980年に実際に起きた光州事件を基にした作品。韓国軍と軍事政権からの独立を求めて蜂起した市民デモとの衝突が激しくなった封鎖された街、光州。
ドイツ人記者のピーターは、情報統制された光州の真実を世界に伝えるため、危険を顧みず現地へと向かうのです。そして、そんなピーターを乗せて光州へと向かったタクシードライバーのキム・マンソプ。

始めのうちは光州での出来事をあまり知らなかったキムでした。キムはデモをする若者達に「大学行ったならデモなどせずに勉強しろ」と言うような男でした。
それはきっと、キムもまた韓国の情報統制の煽りを受けて、実際に軍が行なっている非情な仕打ちを知らずにいたのでしょう。
テレビのニュースや新聞だけを見ていたであろうキムは、軍が正義であり、デモ隊が無謀に暴徒と化していると信じて疑わなかったのです。
ところが、高収入の誘いに連れられて光州へと現地入りしたキムは、そこで繰り広げられていた真実に唖然とします。
報道と現実は真逆だったのです。暴徒によって軍に被害者が生まれたと報道されていましたが、実際はその何倍もの若者たちが不当な暴力や銃撃によって殺されていました。
危険を察知して帰りたがっていたキムでしたが、やがてピーターの使命と、乗客を乗せたタクシードライバーとしてピーターを安全に空港に送り届けなければならないという責任を抱き始めるのです。

一度、キムは逃げ出します。
父子家庭のキムはソウルに11歳の娘を置いてきているのです。日帰りで稼いで帰れると思っていたキムは、戦場で戻れなくなり、電話も遮断されてしまったのです。
誰だってそうすると思います。妻が亡くなって、孤独を抱える娘にとって父親であるキムしかいないのだから。

修羅場から命拾いして隣町まで戻ってきた時に食堂に入るシーンでは、キムは出された食事を本当に美味しそうに食べます。
食事という行為で「生きる」を実感すると同時に、サービスで出されたおにぎりを見て光州で差し入れされたおにぎりを思い出す切ないシーンです。
あそこに住んでいる人たちは決して暴徒や反乱などではない。ただの自分たちの暮らしを守りたい住民でした。
食事を通して、自分が光州に取り残してきた後悔があまりにも大きかったことを思い出します。「生きたい」という思いと、後悔のせめぎ合い。
心変わりして覚悟を固めるソン・ガンホの素晴らしい演技が胸を打ちます。
もうとにかく終始、ソン・ガンホの自然体な演技が良かったです。

本作では靴が3回意味を持って登場します。最初はかかとを履き潰した娘の靴。サイズが小さくなっているのに買い替えてもらっていません。キムは娘の成長に気付いていないのです。
そして、束の間の安息地となった隣町でキムは娘の靴を思い出して新しい靴を買います。ピーターから前払いでもらった乗車賃で少し高い靴を買いました。それはきっと、必ずこの靴を生きて持って帰るというキムなりの決意も込められていたのだと思います。
最後は、ある協力者の死のシーンです。脱ぎ捨てられた靴を遺体となった彼の足に履かせてあげるキム。
しっかり靴を履くという事が、不当な暴力で倒れた彼に、せめてもの人間らしさや尊厳を取り戻す象徴のようにも見えました。

軍の暴力はやがて膨らみ、ただ負傷者の救助に当たっていただけの抵抗すらしていない市民すら虐殺するようになっていました。
こういう指令を見ていつも感じるのですが、指揮者は暴力による統制の末に果たして本当に安定と平穏が訪れると思っているのでしょうか。
暴力は、服従と遺恨と新たな暴力しか生み出しません。服従とは、真意と別に形だけ相手に合わせるだけの行為です。つまり、心の中では一切同意を示さず、時が来ればひっくり返そうと反撃の瞬間を待つのみです。
暴力ではその場凌ぎにしかならず、問題の根本解決にはならない。どうして力を持つ側はその事に気付けなくなるのでしょう。
それとも本当に、市民を全員殲滅するつもりだったのでしょうか。

軍部の中にも軍のやり方に疑問を持っていて、人知れずピーターとキムの逃亡に手助けする者もいたりします。
暴力による支配を正義と考えている上がいるなら、たとえ同じ軍に所属していても普通の人間ならこういう形で隙あらば反撃しようとするのは至極当然だよなぁと思いました。

この映画の公開後、キムの英雄談は韓国中に広まりました。その結果、息子がピーターと共に写った父親の写真を持って名乗り出たそうです。
残念なことに、キムはこの時の心労で酒に溺れ、そのわずか4年後にがんで亡くなっていたそうです。作中で描かれていたように、ピーターのことを新聞記事で見て微笑むようなことはなかったのかもしれません。
しかし、そんなピーターも2016年に他界しました。生前、キムとの再会を切に願っていたピーターでしたが、二人はようやく再会を果たしたことでしょう。