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ネットワークのatomaのレビュー・感想・評価

ネットワーク(1976年製作の映画)
4.9
「俺はとんでもなく怒っている もうこれ以上耐えられない 'I’m as mad as hell and I’m not gonna take this anymore!'」
現代資本主義のただなかに預言者が現れたら、彼は何かを成し遂げられるのか?

本作を含めてアカデミー脚本賞・脚色賞を3度受賞(彼を含め5人しかいない)したパディ・チャイエフスキーによる脚本。フェイ・ダナウェイ、ウィリアム・ホールデン、ピーター・フィンチ、ロバート・デュヴァルのアンサンブルも見事な、名匠シドニー・ルメットの大傑作。

クビを宣告されたベテラン・キャスター、ハワード(フィンチ)はあと数回となったある夜の生放送で、カメラに向かってブチ切れる。「私は本当に怒っている、もう我慢するつもりはない」。啓示に導かれた、神懸かりにも見えるハワードの怒りの奔出は、ブラウン管の向こうの視聴者を突き動かし、アメリカ中の空に「私は本当に怒っている」の叫びがこだまする。

ピーター・フィンチに死後のアカデミー主演男優賞をもたらした熱演も相まって、観る者全てに大きな印象を与える大人気シーンであるが(このシーンがデザインされたTシャツを持っている)、重要なのは、この時点で映画はまだ半分にも達していないことだ。続く物語では、ハワードの魂の怒りはあっという間に新たな番組コンテンツとしてパッケージ化され、視聴率へと「換金」されてしまう。
このアイロニーに満ちた展開が、メディア論として、またそれ以上に資本主義論として、本作を特別な一本にしている。

そう。実のところ、本作の主役はハワードではなく、彼の背後で利益追求と権力闘争に明け暮れるUBSネットワーク・親会社CCAの重役たちなのだ。
UBS・CCAの資本主義の論理は、冷徹に投下資本と利益の計算に徹するハケット(デュヴァル)と、その下でイデオロギーからも自由にただセンセーショナルを追い求めるダイアナ(ダナウェイ)の二人によって象徴的に担われており、ハワードとマックス(ホールデン)は弱々しくそれに抵抗する時代遅れの道化である。
このあたりの描写は、なにか論文を読まされているような気分になる瞬間がないではないものの、チャイエフスキーのリアリズムとルメットの生真面目さがこれでもかと発揮され、本作のテーマに説得力を与えている。

ハワードのアナーキーな反逆すら易々と利益へと変えてしまう融通無碍なポテンシャル。それは先の時代に多くの共産主義者たちが直面した「外部なき」資本主義の姿であり(「資本主義の終わりより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」)、この出口のない世界において、ふたたび金の卵を産めなくなったハワード(それは彼が、CCAネットワーク会長・ジェンセンの口から発せられる二つ目の啓示、資本主義の精神を受け入れてしまったからなのだが)は、いつもの生放送の中で台本通りの死を迎えることになる。

『群衆』からも遠く離れた、よりダークでニヒリスティックなこのエンディングは、(私たちが今もその中で生きている)資本主義とメディアの幸福な結婚の時代に、取り消しがたい陰影を加えている。(24/5/2)
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