元々ビリー・ワイルダー作品が好きなのだが、彼の作品には人を騙す話が多い。
悪事とは、見ている分にはスリリングで楽しい素材だ。
ワイルダーの場合、最初から手の内を明かして話を進めるので、観客は知らぬ間に共犯関係になる。騙される側より、騙す側の視点でスリリングなゲーム性を楽しんで鑑賞するのだ。
本作もそうした構造だと思う。だから面白い。
騙す相手は学校や試験制度だ。
主人公はお金の為に大掛かりなカンニングを行ったというより、試験で生徒の人生を決めたり、綺麗事を言いつつ賄賂を要求する学校への反発で行っている気がする。
不正行為ではあるが、彼らなりの反抗精神なのだ。
観客側も痛快さを感じるのは、どこかに大人の決めた社会制度への反発があるからだろう。
彼らが自分たちの代わりに、そうした堅牢なシステムを手玉に取ってくれたらという潜在的願望があるのだ。
しかし敵は大人たちでは無かった。
仲間こそ敵なのである。
人生には誘惑がある。
ピノキオのように、いかにも怪しい狐に騙される事はあまりない。
狐なら用心する。
友達だからこそ騙されるのだ。
反骨精神で大人と闘っているつもりでも、いつの間にかお金の為に行動するようになる。
お金の為に行動しては、信念は貫けない。
「親ガチャ」なんて言葉が日本でも流行っている。
世の中の不公平。生まれたときから決まっている勝者と敗者。
それを覆す為の学業も、所詮は金で買われてしまう。
そこに加担した主人公は、自分の間違いに気づく。
カンニングを通して学んだのは、学業ではなく人として生きる道なのである。