このレビューはネタバレを含みます
『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』(2017)
カンニング界のオーシャンズ11降臨。
タイ発のこの映画の何がすごいって、、常にハラハラ・ワクワク・ドキドキなんだよね。
しかも、、
メッセージ性やエンターテイメント性が物凄くある。
しかも、やる事が一々スタイリッシュ。そしてスマート。
そのスタイリッシュさ加減から
自分は観てる最中に
佐野菜見氏の漫画『坂本ですが?』
を常に思い浮かべていた。
誤解を恐れずに言うならば…
リン先生が考案した
"消しゴム方式"
のカンニングは一般的でクラシカル。
観客をさらに
数段上の高次元に連れて行ってくれる
"ピアノ・レッスン"方式
のカンニングはまさにiLLでDope。
スタイリッシュ且つ繊細すぎて、言葉よりも、ため息でちゃう。
マークシート方式だからこそ生み出せたんだろうけど、記述式のカンニングも見てみたくなった。
記述式じゃさすがにムリか。。
途中、世界統一模試STICに向けてリン先生とバンク先生の2人の秀才が、ちょっと恋愛にも発展しそうなストーリーになってる。
2人で写真なんか撮っちゃって「イヒヒw なーんかイイ感じじゃんーw」って観てた。
まあ、ここいらで、マジメに解説すると荀子が唱えた性悪説「人は本来、弱い存在である」って概念があって。
その人がいる環境によって、どのようにも姿が変わるから、礼儀作法であったり、社会規範を学ぶことの大切さがあって、学んだ結果によって「立派な人間になれる」って考えられてる。
じゃあ結局のところ
人間の価値って何で決まるのか
最も分かりやすいお金?
それとも人脈?学歴?
地位?名誉?
物語ラスト、リン先生は何が大切なのかをハッキリ悟ってる。
立派な人間になるのに大切なことは
自分自身にウソをついたり、他人を欺くことじゃなく、ましてやお金を得て、解答を友達に指し示していくことでもない。
自らがたゆまぬ努力をし続けて、自身で人生の意味を絶えず見つけていくこと。
それが成功につながらなくても、そこまでに得られる価値は存在する。
テストの点数が高い低いじゃない。
『結果が全てである』『お金が全てである』って考えは至極全うだけど、じゃあ、それを手にしたあと、思い描いた人生になったら、全て成功で人生終了するのかって言ったら、しない方が圧倒的に多い。
あの有名なサン=テグジュペリは
"かんじんなことは、目に見えないんだよ"
って言葉を残した。
ラスト、リン先生が決断して起こした行動は勇気を持って讃えらるべき行動であるし、更なる人間性を高める行動といえる。