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クルーシブルのRのレビュー・感想・評価

クルーシブル(1996年製作の映画)
3.8
めちゃくちゃ久しぶりに見てみました! その昔、幼いころ、好きすぎて何度も見ました。ウィノナライダーにハマってた一時期。懐かしい……爽やかで媚びてなくて健康的な万引き少女ウィノナライダーが怖い怖い女を演じている。冒頭、セーラムという村のはずれにある林の中で、たき火を起こし、生き物を煮て、好きな男と結ばれますように、とおまじないをかけ、裸になって踊る少女たち。貢ぎ物の鶏の血を飲み、狂ったように興奮する少女アビゲイル。その場を牧師に見つかり、逃げ回る少女たち。逃げることのできなかったアビゲイルと牧師の娘ルース。翌朝、ルースは目を覚まさなくなり、悪魔が憑依したのでは、と疑惑が行き交う。牧師たちに責められるのを恐れたアビゲイルは、牧師の黒人奴隷と村の数人を、そのひとたちは魔女であり、悪魔を召喚して、私たちに呪いをかけたのだ!と叫び始める。同じ恐れとアビゲイルへの恐怖から、魔女の話に同調し始める少女たち。アビゲイルはかつて、村のはずれに住むジョンプロクターの家で召使いをしていた。が、ジョンと姦通しているところを妻のエリザベスに見つかり、追い出された。ジョンに教わった甘美な性の悦楽を忘れられないアビゲイルは、エリザベスも魔女の一味よ! と狂おしい糾弾を始める……というお話で、歴史的に有名なかのセイラムの魔女裁判の映画化となっております。みな実在の人物であるようで、ほんまにこんなことが起こっただなんて……あり得なさそうに感じるのだが、考えを巡らしてみると、似たようなことは現代でもいくらでもある。筆頭に挙げられるのが、いじめ、SNSの炎上、メディアの捏造、デマなどなど。人間の精神はこの頃から少しも変わってないな。そんなことを思いながら、狂熱に冒されたように絶叫し続ける少女たちのヒステリアを見てると、頭が痛くなってくる。また彼らの言い分を支持することによって、自らの法衣の権力を誇示しようとする聖職者の皆様の阿呆さ。科学や道理よりもキリスト教の迷信を重んじ、フェアな観点を失った一番偉そうな爺さん、けったいなヘアスタイルも含めてめちゃめちゃイライラした。逆に、どう考えてもアビゲイルらの主張がおかしいと直感する牧師さんもいて、聖職者陣ではこの人だけがまとも。とてもいい役者さんでもありました。彼以外の聖職者は精神が腐敗しきってる。人間とはかくも権力の魔性に弱いものか。妻の命を危険に晒してしまった色男ジョンプロクターを演じるのは、ダニエル・デイ=ルイス。この人はホントいつもいい演技。嫉妬の劫火に精神を焼かれるアビゲイルが、それほどの執念をもってでも自分のものにしたい、というのも、わからんでもないかもなぁ、と思わせる説得力を持っている。ただ、ちょっと真面目でストイックすぎて、奥さんのエリザベスくらい真面目でストイックじゃないと、いっしょに暮らしていくのツラいと思うけど……アビゲイルみたいなヒステリックな強欲女には無理やわ笑 奥さんを演じるジョーンアレンも生真面目な人間の気高さをむすっとした顔から滲ませてるし、あと、魔女認定されるおばさんたちが、みんなめちゃくちゃ善良なクリスチャンなところが、またたまらなくやるせない気持ちにさせた。全体的に異様にテンションが高く、カメラワークもこれ見よがしに暴れまわるので、逆にもうちょっと動静のコントラストがあるともっと怖い映画になってたんじゃないかと思った。また、本作は娯楽作としては暗すぎ重すぎ、芸術映画としては軽すぎ、で、絶妙にターゲットオーディエンスを獲得しにくい感じがしたのだが、テーマのおもしろさと役者の魅力で勝ってるな、と。現に中学生だったボクはまんまと魅せられてましたしね。火のないところに煙はたたぬ、と言われることがあるが、火ないところに煙をたてるのが人間の恐ろしさであり、現実、火のないところにたてられている煙の量はハンパじゃない。火のない煙VS火のない煙 みたいになってるケースも無数にあるだろう。何を信じればよいか分からない、という時代は、この頃から現在まで連綿と続いている。そして、いまやすさまじい威力の破壊装置を手中におさめてしまった人間。その精神性の向上が、いまほど喫緊の課題になっている時代はない。
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