kanransha

Visionのkanranshaのネタバレレビュー・内容・結末

Vision(2017年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

映画を見ていてなんとなくの時間感覚で
「そろそろ終わる時間なんじゃないか」と意識したと同時に、「頼むからこのまま終わらないでくれ、終わりにしないでくれー!」と心の中で願っていたが、終わってしまったな…。

なんとも不思議と不可解で溢れかえっている。
映画の中でも
「今が今なのかわからない、過去のような気もするし未来のような気もする」
という台詞があったが、ストーリーがしょっちゅう時空を移動して
「なんだ、何なんだこれは」と考えているうちに、場面が切り替わって映画が進んでいく。

永瀬雅敏のセリフ
「自分がこの世界の一部だという事、それだけでいいんじゃないか」

この台詞に、この映画の全てが集約されているように思う。
筋を追う映画ではない、考えるより感じろ系。
難解な映画であるようで、その実伝えたい事はとてもシンプルで

「世界はこんなにも美しく、自分はその世界の一部である、それだけでいいんだよ」と。



またそのメッセージを具現化しているかのような、岩田剛典の存在。
彼は映画の中でほとんど台詞がなく、ラストシーンまで彼が何者であるかもわからない。
演技もしているのか?してないのか?それさえわからない。
フィクションとノンフィクションの境のような。
「だけど世界は美しく、彼の目はこんなに美しく、美しい世界を形づくる一部分である。それだけでいいんじゃないですか?」
そんなメッセージを放っているような。
ベテラン俳優が揃った映画の中だからこそ、インパクトの強い存在。「自然美」

まだまだ「ファンが求める岩ちゃん」をずっと演じなければならないのだろうが、そろそろ解き放ってあげてもいいんじゃないのか?
お節介だがそんな気がした。
そう感じさせるほど、映画の中の彼はキャストの中の誰よりも「闇が深い人」に見えた。



撮影中に慣れない現場の事を永瀬雅敏に色々聞いて教えてもらった、というインタビューを読んで
「河瀬組でそれってアリなのか?」と不思議に感じていたが、映画の役どころとしての二人の関係性を見て納得。
永瀬雅敏が山というもの、人生というものについて岩田剛典に「教え伝える」役なんだよな。

「俺はお前の歳の頃、疲れきっていて毎日泣いていたけど、自分がこの世界の(以下、上の台詞が続く)
それを今、おまえに伝える事が出来て良かったよ」
これは何というか、ドキュメンタリー。
俳優として何十年とキャリアを積んで、俳優という仕事に真摯に向き合い、一流を極めた永瀬雅敏が、おそらく俳優として伸び悩んでいるであろう駆け出しの岩田に伝えるからこその説得力。

森山未來は相変わらず、さすがだった。
彼もほとんど台詞が無くて最後まで何なのかがよくわからない存在なんだけど、あの火を起こす「舞」ね。
ダンスじゃなくて舞。
舞にこの役の全てをぶつけた感じ。
喋ってないのに成立する、させてしまう。
きっと本人はこれ言われるのが一番イヤかもしれないが、森山未來を見ると今でも「世界の中心に愛を叫ぶ」を思い出すんだよな。
フツーの高校生をフツーに演じていた。あの頃から上手かった。
時を経て、今はスクリーンの中にいるだけで胸がざわつく存在になった。



夏木マリ。存在自体があの世とこの世の境。
フィクションとノンフィクションの境。

あのトンネルもきっとあの世とこの世の境で、そこを渡ってあっち側に行った人があっちの世界へ行ってしまうんだろなと、そこまではわかる。

ただ岩田が死んだ犬を抱きかかえて帰って来たのはなんなんだろう?
彼はあの山に来た時点で死ぬつもりだったんだろうか?死ぬつもりだったんだろうな?

犬、もしかして父親(森山未來)の化身?

「山はにぎやかだな」
それが生きているって事なんだろうな?
生きている限り、完全に孤独になる事はないんだと。


などなど、枚挙にいとまがないほどに、いろんな想像を掻き立てられる、考えさせられる点では、自分的には、ある意味いつもの河瀬監督らしい映画だった。

だけど1番神秘を感じたのは、エグザイルグループと河瀬監督のタッグ。
どこに接点があるんだ…
エグザイルの大将はなぜ河瀬監督で映画を作ろうとしたんだ…
それが何よりも1番ミステリアスだった。
kanransha

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