LalaーMukuーMerry

判決、ふたつの希望のLalaーMukuーMerryのレビュー・感想・評価

判決、ふたつの希望(2017年製作の映画)
4.2
私にとって初ではないが、かなり珍しいレバノン映画。レバノンは、地図上の位置はわかるけど、どういう国なのかほとんど知らない(ゴーン氏が逃げた国くらいのイメージのみ)。
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イスラエルvsアラブ、イスラム教国間の対立(スンニ派 vs シーア派)、大国との関係(アメリカ、ロシア、中国、トルコ)、近隣諸国との関係、イスラム過激派組織(ISIS等)との関係、…、大局的理解に役立つどの項目をとっても、レバノンという国の立ち位置をほとんど知らない・・・
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車の修理業を営むトニーと、配管工事の現場監督ヤーセル。トニーはキリスト教徒、ヤーセルはパレスチナ人。二人の間の些細なトラブルが発端で裁判になる。トニーの態度の方に問題ありと観客は思うはずだから、裁判で負けても案の定という感じ。
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でも我慢できないトニーは高名な弁護士をつけて二審に挑む。裁判を望まないヤーセルにパレスチナ難民サイドにたつ女性弁護士がかってに加わって援護。宗教・政治対立を背景に互いに一歩も譲らない裁判闘争に発展、マスコミも取り上げ、大統領まででて来て大きな社会問題に・・・
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勝つために相手の悪い点をほじくり出して傷つける裁判の悪い面が描かれる一方で、二人の心の奥底にある記憶と憎悪にまでたどり着いたのは裁判だからこそという面もある。二人とも宗教・政治の対立によって起きた殺戮や難民問題の犠牲者だったのだ。
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お互いを理解して、和解に向かう二人。判決はどうでもよくなっていた、もともとトニーはヤーセルに謝って欲しかっただけのこと。そのヤーセルの謝罪のしかたに唸りました。対等になるためにはあそこまで体を張る必要があると彼は考えたのですね。たった二人の争いでさえ、無くすのはこんなにも難しい。みんなが穏やかに暮らせる日が来るのはいつのことだろう?
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(背景など)
第1次世界大戦でオスマントルコが崩壊した後(1922)、レバノンはフランスの委任統治下の期間が長かった(第2次大戦中の1943年に独立)。首都ベイルートは中東のパリと呼ばれるほど繁栄し、レバノンは政治的にも経済的にも安定した国だった。その影響からか、レバノンは中東なのにキリスト教徒の割合が高く、ざっくり言って約半分。
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ところが1975年から長く続いたレバノン内戦(~1990)で事態は一変した。もともと宗教対立がベースにあるところに、パレスチナ難民の流入によって、イスラム教とキリスト教それぞれの急進派勢力の争いが激化し(ドゥルーズ派、パレスチナ解放戦線PLO:イスラム教極左 ⇔ マロン派、レバノン軍団LF:キリスト教極右)、それらを支援する隣国シリア(イスラム側、後ろにソ連)とイスラエル(キリスト教側、後ろにアメリカ)による軍事侵攻もあって、国はすっかり荒廃した。
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内戦終結から30年もたって急進勢力の担い手は変わったが、対立と争いが続いていることに変わりはない。それでも対立激化を防ぐための知恵として、選挙で選ばれた権力者のうち、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニー派、国会議長はイスラム教シーア派から選ぶことが慣例となっているらしい。
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冒頭の素朴な疑問に対する答えは、国が一つにまとまってないからレバノンはこう、とは言えないということだ。逆に言えば大きな争いに巻き込まれないよう、どちらの側にもつくことなく慎重に舵取りをしている国、とも言える。そういう背景を理解すると、この映画はレバノンだからこそ作れた映画ともいえるでしょう。