ギャルソンヌ (2017)
穐山茉由監督 ("月極オトコトモダチ"/18)
映画美学校 卒業制作 作品
"Garçonne" は "Garçon" という
フランス語の"少年" から派生してきている
"少年のような女性"
"男性のような女性"
中性的な意味合いが含まれている
川久保玲 氏のブランドComme des Garçonの過去のコレクション(HOOME PLUS)
「男でも女でもない」
というテーマで展開されていたこともある
(ただ思い出しただけで 特別何も関係はない…)
女性の外見でありながら男性の心と身体で
その両方を合わせ持つ"インターセクシュアル"
→ 端的なLGBTの括りではなく
→ 身体的な性別の括りでもなく
→ 遺伝子レベルから生じてる部分も含まれる
最近では性の括りは更に複雑化していて
"Xジェンダー"
→ 身体的特徴は男女のどちらかであるも
2つの性にとらわれない性の自認を持つ人
という捉え方もある
映画は朝倉はづきという人物が主人公
はづき自身は叔父の経営する芸能事務所の
“女優”としてデビューする
見た目は完全に女性だが 一挙手一投足の部分で
なかなか男っぽさが抜けずにいる
はづきはマネージャー野口に指摘されつつ
「女性らしさ」というものを学んでいく
ある日 はづきはTVドラマの撮影現場で
売れっ子の麦田明日香(元カノ)と
偶然に再開してしまう
元カノからは「はづきの遺伝子(精子)が欲しい」と迫られてしまう
はづき自身は
「 "女優" としていきていく」
と決めたものの
元カノの存在が大きく立ちはだかり
男性-女性の性同一性を大きくぐらつかせる
はづき自身は実際に"女性"として
生きていくための準備を行なっていて
最終的に「睾丸を摘出する」という事を受容する
そもそもはづき自身が無精子症なのかは
ホントのところは定かではない
どんどん女性化する形で展開していく中で
「どちらかの性になることを選ぶ為の映画」
だとするならば 何だか味気なく感じてしまう
一方でこの作品が主張したかった部分
「はづき自身の性同一性が
揺れ動く心情を描いていく」
という部分にフォーカスするならば
あの形でエンドロールなのは理解できる
上映時間が もうちょっとでも長ければ
ラストの描き方 あるいは その先の展開等も
更らに組み込めたような気がしてしまった
色々な余白を作りだした今作が卒業制作
というのは 相当ハイレベルだと感じる
この後に描かれる"月極オトコトモダチ"では
更に進化した穐山監督が見られる