140字プロレス鶴見辰吾ジラ

ターミネーター ニュー・フェイトの140字プロレス鶴見辰吾ジラのレビュー・感想・評価

4.0
【サラ・コナー“サーガ“】

「ターミネーター」 
「ターミネーター2」
「ターミネーター3」
「ターミネーター4」
「ターミネーター/新起動」
「ターミネーター ニューフェイト」

紡がれ続けるターミネーターとの物語。「ターミネーター2」の完成度の前に実は隠されていることがある気がしてならない。隠されているというか、この物語はサラ・コナーの因果の物語なのではないだろうか?

「ターミネーター2」以降はいらないとされる論の中で、3~4対しての結局は変えられぬ運命に多くが憤ったからだろう。しかしながらこのシリーズで変わらないモノがある。

それは
①未来から送り込まれる救世主殺しのターミネーターたち。
②サラ・コナーという存在
だと思う。

ジェームズ・キャメロンが2の正統な続編として描いた本作の意義とは?

そもそもの話、ターミネーターは未来の反乱軍のリーダーであるジョン・コナーの母親であるサラ・コナーの殺害を阻止する話から始まった。

つまりサラ・コナーの物語であるということではないだろうか?

冒頭で呆気なく散っていく命。

我々はメキシコ人と未来からの強化女性戦士にポリティカルコネクトを感じずにはいられない。

実は本質かはやや逸れた位置にあることで、サラ・コナーとしてリンダ・ハミルトンをキャスティングした意義は、繰り返されるターミネーターの襲撃の因果の中心がサラ・コナーにあることが考えられる。

ターミネーターが未来から何度も刺客を送り込む理由は、未来の世界ではいくら過去の英雄の種を摘み取ろうとしても人類が勝利しているという逆説的証明に他ならない。※ここが水戸黄門的でスリルが足りない点でもあると思う。

そして人類は何度も運命を与えられても乗りこえていく強さを持った人間讃歌のようにも思え、「運命に抗え!」という意志こそが機械軍団の持たない非合理性で、巨大な運命の中の歯車のようにも思える。大きな力に突き動かされ運命に抗う行為が勝利への運命を強固にしているようにも思える。

繰り返されるのは人類の終焉でなく、人類がストリートからでも貧困層からでも蘇ってくる宣言に思えた。そしてその因果の中心にサラ・コナーがいることは、劇中で敢えて聖母マリアと自身を揶揄して言うシーンが納得でき、リンダ・ハミルトンを復活させキャスティングさせた意義であると思う。「ターミネーター2」の巨大さに見落としているのは、サラ・コナーの聖母マリア性であり、彼女がいるかぎり機械軍団に勝利などないという予定調和である。運命に抗がっているのは機械軍団の方かもしれない。ジョン・コナーこそ救世主だという以上に、本作ではセリフのみでしか知らされなかったサラ・コナーのターミネーターキラーとしての役割があり、敢えてミスリードされた本作の守られる側のヒロインが未来像が、サラ・コナーの因果と継承にあると、その強さの増す眼差しに示されていたのだと思う。

作品自体のアクションは序盤のカーチェイスは「映画を見てる…」と感激したが、クライマックスは窮屈さと暗さがテンションを上げられなかった要因と思う。しかしそれ以上に、書き換えた運命が書き換えられた先の宿命としてサラ・コナーを中心に因果として強固になり未来へ継承していく尊さは、百合なターミネーターというポリコネを跳ね飛ばして闇を切り裂く光になっていると感じた物語の途中だったように思えた。

そこにジェームズ・キャメロンの想いとサラ・コナーの強さがあれば…と勇気づけられた映画でさえあった。