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ニッポン国 古屋敷村のニューランドのレビュー・感想・評価

ニッポン国 古屋敷村(1982年製作の映画)
4.1
確か’79の公開予定ラインナップに、待望の『牧野物語 稲作編』は入ってて、’77に『~ 養蚕編』を年間ベストテン・リストの中程に入れてたので、私には満を持して、という感じだった。それまで、小川プロの作品は時代・タイミングを逃すことなく、せききるように、せっついて発表されてきた。『三里塚』シリーズ(というよりジャンル)の最高傑作『辺田部落』のさらに、ベース・深部を探ってゆく、『牧野物語』シリーズの真打ちの登場、期待するな、という方が無理だ。
しかし、完成・発表はこれ迄とは異例に大きく遅れて、’82となり、内容も稲作編は1/3強程度で、以降、過疎の流れを更に遡り、炭焼・養蚕が主流だった時代とその名残り、分家のうちの遮二無二生活力、戦争の時代による働き手の長期(時に永遠に)欠落と輪をかけた復帰力、の姿を国家意識など二の次のニッポン国の自律的あり方を呼び起こしてゆく。この分厚いのかとりとめないのか膨れ上がった構成の組み立ての冷静さは、三十数年ぶりに見直してわかることで、当時は、ミクロ撮影、地形模型、地図、気温記録表と最適受粉枠の確定、地層断面現し、等を有効に分かりやすく使っての、5年に一度の凶作を生む高山越えて降りくる冷気シロミナミの正体、それも杉林の遮断や土地の酸素・鉄分を失いかけてる老朽進捗度で場所差がある、を見事に証した「稲作」後、まっ正面からの古老の昔語りにスポッと切り替わり、入っていって戸惑った。
それにしても、自らも土地を借りて耕作・収穫しながらの、プロ?のお百姓・炭焼きらへの、入りかた、会話が、独自の味わいというか、無理がなく自然体かつそれでいてセミプロとしての並走感、絶妙の誘導・聞き逃さなさ・同輩以上の畏敬、が感じられ、例によって甲高い声の強引さが感じられるも、作者というよりちょっとせりだしの強いにいちゃん?の個性からはみ出ない。じつにいいポジショニング。ただ、無理に戦争や国家に持ってこうとしてる、以前の名残りのところが作品を弱めてる部分はある。
とにかく、誠実、受容、傲りなさ、羞恥心の無さ、の部落の人のありようが、作者を上回ってて、無意識・無邪気にテーマなど打ち切り、作り込んだ感じがなく、実に心地いい。たどたどしく、平明で、とどまることなく、人生と家族と部落が延び繋がり活きつづけてく。「人でなく、炭だけに従う」道を選んだ人の実に正確で心地いいスリリングな仕事ぶりの本物・匠とスペクタクル(金銭収入1ヶ月あたりに直すと、当時大学初任給に毛が生えたくらい)や、遥か遠い田畑の為に通い続けたという山中の長く険しい「おワリ街道」の細い窪みと濡れた葉の敷き詰め、個人的にもそういった世界を僅かながら知ってるが、昭和前半は効率・能率を越えた別の世界が疑うことなくあった(ラストの字幕続きが威勢がいい。河瀬の『杣人物語』でも感じたが、標高数百メートルに小さな部落として暮らす人たちは、半分は逞しく利口な獣のようで、半分は気高い、言葉を選ぶ精神の古武士のようだ。)。
次作、実質小川の終着作、これも30余年ぶりか、観たくなった。こっちは、更に一筋縄ではゆかぬが。ただ、私は西の人間なので、字幕がついても、村人らの喋ってる内容が大まかにしかわからない。味わいは感じられるも、正確なニュアンスなどお手上げだ。ま、そこに移住して何年も経ってるからだが、通訳なしにほぼ正しく聞き取ってる小川がスーパーマンに思えた。再々チャレンジすれば、私にも分かってくるかな。只、言葉や風土には溶け込んでも、小川の、ワイズマンより数歳若いのに五十代で早逝は、晩年の2作等NHK・BSでもよくやるくらいに名士扱いされるようになって、何か違うと僕らも思ってた、ジレンマがあった気もする(だが、私は小川の存命中、ワイズマンを知らなかった~『動物園』も間に合わなかった~が、間に合ったクレイマーも含め、小川がリードした山形ドキュ~祭は、世界に小川が生き続けてることを常に教えてくれた。)。もう一度、刃を研いで剥き出しにすることも必要だった気もする。
控えめも、CUも、ライティングも、(半主観めも統制ある)移動も、Lも、後でデクパージュ最適の構図も、田村のカメラは16ミリカラーとしては、最高の質感・温度。
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