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リズと青い鳥のokomeのレビュー・感想・評価

リズと青い鳥(2018年製作の映画)
5.0
「みぞれのオーボエが好き」


山田尚子監督の作品が好きです。
この人が関わるアニメーションは、登場する人物に確かな実在感が感じられるから。
以前他の感想でも書きましたが、その実在感は「みぞれや希美は、実は現実世界にちゃんと存在していて、今は画面の中で『キャラクター』を演じているんだ」というような、何とも不思議な気分に陥ってしまうほど圧倒的です。
今になって改めて思うけれど、それって実写の映画みたい。
アニメーションを観ていて、何の違和感も無くシームレスに実写と同一視してしまうなんて、これは本当に凄い事だと思います。


実写はアニメーションと比べて、一場面の持つ情報量が圧倒的に多い。
風にそよぐ草木、刻一刻と変わる光の加減、役者の表情、空気中に漂う埃、とにかく一秒として停止しているものはありません。そこにカメラを向ければ、作り手の意図を超越した一種偶発的なドラマが生まれる可能性だって存在します。
でも、アニメーションはそうはいかない。
あらゆるものを作り手が意識的に動かさなければ、全て「止め絵」となってしまう。
実写と同じ風景を再現するだけでも、かかる手間は膨大です。それを何とか解消する為に、カットのテンポを早めたり、カメラをちょっと奇抜な位置に置いたり、キャラクターの動きや声優の演技を多少大袈裟にデフォルメしたりと、色々な工夫がなされるのです。
その工夫が実写との差異であり、そこにこそアニメーションの醍醐味や面白さがあるのだと、自分はそう思います。

翻って、今作『リズと青い鳥』。
実写映画みたいとは言いましたが、アニメーションならではの工夫は全編通してしっかりと踏襲されています。ただし、その1つ1つがとんでもなく繊細で丁寧なのです。
動き、カット、映し出されるモチーフ、その全てが魅力的に思えて、目が離せないでいるうちに、ついそこから何かが読み取れる事を期待してしまう。説明を極力排除したような演出と相まって、映像による文学的表現の凄まじさ、行間を読む事の快感に没入させられます。
また、その没入を何にも邪魔される事がないように、静謐な幕でそっと覆ってくれるような劇伴も素晴らしい。
足音や風の音すらスコアに組み込んだ楽曲は、聴覚を介した空気の通り道のように、画面の彼方と此方の隔たりを、いつの間にか優しく取り除いてくれるのです。

とにかく稀有で豊かな映像体験でした。
公開当時あまりに気に入ってしまって、3日と置かず劇場に何度も通ったほどでしたが、今観直してもやっぱり尋常ではない気持ちにさせられます。個人的に、表現の可能性や面白さを改めて思い知って、ジャンルを問わず色んなものに興味を持つ切っ掛けを与えてくれた、大切な作品でもあります。
いつかあった少年少女の時間と一緒に、生涯心の大切な部分に置いておきたい。
そんな、オールタイムベストな1作です。








以下、ネタバレ含む内容についての感想↓













いやぁ、それにしても。
恋より上に位置する、少女同士の排他的な友人関係。
この関係性は、何と表現したらいいんでしょうね?
迸る衝動を抑えられなくて他の方の感想やレビューをつい読み漁ってしまうんですが、そこでよく「百合」って書かれているのを目にします。でも、個人的にはあまりしっくりこない。

恋愛にある情熱とか激しさとはまるで別種の、ピンと張り詰めたような雰囲気。
ガラス細工のように透明で脆く、冷たくて他を寄せ付けない、静寂に支配されている関係。
当の本人たちもその脆さに対して自覚的で、絶対に強く揺すったりしないように、静かに、息を殺して何よりも大事に均衡を保とうとしている。
でも、お互いに抱く感情の大きさ、重さで、いつその均衡が崩れてしまうか分からない……そんな危うさが、小さくゆっくりと、でも確実にすぐ近くを漂っている感覚。
大人や男同士なら絶対にそうはならない、少女同士だからこそ成立する、綺麗で摩訶不思議で、不穏な、とても残酷な関係性。

そう、残酷なんです。
だってその関係は、例外なく破綻し、絶対に終わりを迎える事が最初から決まっているから。
少女はいつか大人になるもの。
その時が来れば自分たちの手で、何よりも大事だと思っていた2人の関係を壊し、変化させずにはいられないからです。

「17歳がとても魅力的なんです。大人でも子どもでもない時期が、凄く輝いてるように見えるから。
18歳になったらもう大人。どこか別の世界に行ってしまうような気がします」

山田尚子監督が、インタビューで語った言葉です。
もう、まさに!という感じですね。
今作の主人公、みぞれと希美は高校3年生。
17歳から18歳、子どもから大人へなろうとする、まさにその変化の瞬間が描かれるのです。
足音、息づかい、衣擦れ、そしてまばたきの音すら聞こえる静寂の中、世界が壊れる音が確かに響くクライマックス。その何と美しいことか。
「みぞれのオーボエが好き」。
希美の言葉に、こちらの息が止まるかと思ったほどでした。


ただ、自分は最初、希美のこの言葉は、彼女が自ら籠の扉を開けた故の言葉だと思っていました。
希美にとって、大切な青い鳥であるみぞれ。
でも、自分に執着したままいつまでも外へ出ていけない彼女を想って、自ら逃がす決心をしたのだろうと。
しかし後々読んだ山田尚子監督のインタビューで、鳥肌が立つほど衝撃を受けたのを、今でもはっきりと思い出せます。

「希美の『ありがとう』は、『もういいよ』です」。


……それって、本当はあの時、希美はみぞれの返事を期待してたって事ですよね?
一体何と言って欲しかったのか。
もう、分かりすぎるほど分かってしまって、こっちの感情がメチャクチャです。

この関係がずっと続いて欲しい。
壊れた世界をもう一度元に戻したい。
でも、それは無理だって分かっている。
自分のことを「全部好き」と言ったみぞれが、本当に言ってほしい一言を、言ってくれない事だって分かっている。
そんな、懇願と諦めが綯い交ぜになった、何とも切ない最後の問いかけ。そして、青い鳥に執着する自分に対して引導を渡す、決別の言葉でもあったのです。
それが証拠にラストシーン、階段の上と下で2人の立ち位置が入れ替わる事で、関係が変化してしまった事がきっぱりと描かれます。

もう二度と元には戻れない。
残酷ではあるけれど、失う事で在りし日の美しさはやっと永遠性を得るのでしょう。


余談かもしれませんが、みぞれの誕生日は7月2日。
あの時点で、もう目前です。
12月3日の希美より、一足先に大人になるのだなと思うと、何だかまた心がざわついてしまいます。
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