ダイセロス森本

ホース・ソルジャーのダイセロス森本のレビュー・感想・評価

ホース・ソルジャー(2018年製作の映画)
4.8
9.11、世界を恐怖に陥れたあの事件。当時アメリカに居た私は、たまたま、本当に奇跡のような偶然で、この日の2日前、日本へ帰国していた。もう詳細なんて覚えていないけれど、とにかくすごい事件だったと聞かされていた。

そして日本人は、この12人の兵士がいたことを知らなかった。
この戦いは機密事項となり、公にされることがなかったというのが第一の理由だけれど、これはノンフィクション小説から映画化されていることを考えれば、もうとっくに機密事項ではなくなっていたのだ。なのに知らない。こんなに素晴らしく、世界を救った「本物のヒーロー」のことを、私たちは何も知らなかった。


映画化するにあたり脚色されている部分ももちろんあるだろうが、それにしてもすごい迫力。戦地の状況、爆発、銃撃戦などは、忠実に再現していることだろうから、多勢に負けようとしないアメリカ人兵士たちの強い志にこちらが負けそうになる。

私たちは平和を持っているから、のんきに暮らすことができる。そして、死ぬことを恐れる。しかし敵地にいる人々は、平和を持たない。持つことを許されない。だから、死ぬことは恐れる対象ではなく、死んでから魂の開放、死んでからの自らを楽しみに生活をしている。
そうか、彼らは殺し合い、死ぬことを恐れない。
死ぬということは、神に近づける大きなひとつの手段というだけなのか。

将軍が最後に放った、「アメリカはこの土地にくればひとつの部族だ。ここから去れば臆病者となり、ここに残ればいずれ敵となる」という言葉が、国の情勢そのもの、この土地のそのものを表していて、ただ恐怖をおぼえた。
島国に生き、外国人を見かければ物珍しい顔でじーっと眺める日本人。私たちにこの言葉が理解できるはずがなく、体験しようもない。だが、この言葉には、その「理解」へつながる第一歩になる恐ろしさが含まれていた。

クリス・ヘムズワースはオーストラリア人。この歴史をどのように受け止め、どう思ったのか、とても興味がある。今までソーやフィクション映画、レーサーなど数々の人生を、ちょっと突飛な神まで演じてきた彼が射止めたこの役柄。彼の人の好さ、優しさあふれる目が、いつの間にか将軍の言うように、「人を殺した目」になった。あの瞬間から、彼はそちら側の人間になってしまったのだということが、とても恐ろしく演じられていたので、やはりかっこいいなあと。(なんか違うぞ纏め方)

”女は8歳を超えたら教育を受ける必要はなくなる”。
教養を与えると殺される。
「強く生きて」。同じ時代に生きているはずなのに、全く思想が違い、全く生活が違う。こちらの国では呑気にスターバックスの話をし、むこうの国では女が石を投げつけられ殺される。こちらの国で心を病み、精神科へ通う間に、向こうの国では少女が売買され強姦される。
むこうの国が時代遅れなのか?こちらの国が呑気なだけなのか?
先進国とは何なのか?発展途上国と呼ぶのは正しいのか?
そもそも”発展”とは、どういうことなのか。
彼らは彼らの神を信じ、彼らのリーダーを持ち、殺し合い、奪い合っている。私たちは私たちの道徳を信じ、殺しや死を良しとする彼らと戦う。
私にはこの結果が、答えがわからない。


帰国後、窓越しにうつる妻子。早めのクリスマスと喜ぶ妻子を見る彼の表情。そこに、戦地へ赴く前の彼の純粋な優しさは、なくなっているようにも見えてしまった。

実話として、この話をどう受け止めるか、どう感じるか。私たちにできることは今、それしかない。