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とんかつDJアゲ太郎のフェミ研ゼミのレビュー・感想・評価

とんかつDJアゲ太郎(2020年製作の映画)
5.0

意図せず私は唐揚げアゲながら観ていた。
爆音で。流し見の予定が様々とても好きだったな。しみじみ。多分全然★5とかじゃないんだろう。が、本日私にとってはそうだった。

好きな二宮健監督だからとかそういう目で見ていたわけでもなく、てとも好きだった。
キチンと効くコメディは人間ドラマをキチンと見せてくれて大好きだ。

何かを真剣に打ち込むとこれまでの経験とリンクすることが多々ある。
ああ、これ知ってるぞ。オレはこれを知ってる。という感覚になる。
そこまで行けると悟りを開いたかのような心の平穏共に全ての感覚や過程が自分に降り注がれる感覚。
気持ちいいんですけど、平穏。

そして、友達という存在が何故尊いのか?いう問いの答えを海外ドラマ「アフターライフ」を見て齢30過ぎてようやく理解した私はアゲ太郎と仲間たち見ててすげえ眩しかった。
すごく嫌な言い方すると、友達って記憶の外部記憶装置でタイムマシーンの役割を果たしてくれている。
その外部装置が多ければ多いほど私の生活や記憶のオリジナルデータが失われた際に、取り残された家族たちは外部装置からそれらを補完することが出来るので、痛みやダメージは和らぐのだと思う。
データがオリジナルしかない場合、絶命と共に彼らの経験や体験、感情、記憶全てが失われる。
だから、今生きてる自分には対して必要ないが自分が失われた際に自分の人生を共有してくれる人(=友達)という存在が必要になってくる。

私は一人でも大いに楽しいし、人と会う喜びより疲れてしまうこと方に比重が偏っている性分なので、友人と呼べる存在や、会いたいと思える存在が片手に収まるので、
日常の中に家族や同僚とは別に、ただただ誰かと時間を共に過ごす習慣のあるアゲ太郎と友人たちが羨ましい。彼らの盛り上がりもないただの会話がより羨ましく感じたし、とても眩しかった。
楽しいから一緒いるわけでもなく、ただ一緒に時を過ごしている。それも全員無意識なのだ。それがいい。

みんな渋谷に住んでいるが、全くキラキラしていない。
私からすると渋谷はなんでもあって遊ぶ所だが、彼らにはそこはただの生活圏内であり、そこでそれぞれ何となく家業を継いでおり、日々のなんとなくみんなで集まって駄弁る。それた楽しいわけでもなくおそらくただの習慣になっている。それがとても良い。
友達というより、幼馴染。
クラブに行ったことないからみんなでオシャレして行ってみるか!みたいな普通の感じが良かったな。
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