親や先生以外の大人との出会いって、重要だなぁと思った。
小学5年生の時、初めて父親抜きで、一人で床屋に散髪に行ったことを、何故か思い出した。
床屋の主人は谷村新司似のダンディなおっさんだった。
父親と一緒の散髪の時は一切会話をしなかった。
それが今日、自分一人であの人と一時間程度の散髪の時間を過ごせるだろうか?と不安に思いながら一人店へ向かった。
不安とは裏腹に、散髪が始まると、いつも人見知りな自分が嘘のようにペラペラと話せた。
それは、谷村似のおっさんが学校で流行ってること、ゲームの話など、僕が話したいことを巧みに引き出してくれたからだと分かったのは、随分あとだ。
この、大人が自分の話に耳を傾けてくれたという体験がその後も自分の中にずっと残り続けた。
大人になって、親になって、子どもと接する機会が増えた時に、あの時の谷村似のおっさんをいつも思い出す。
あんな風に押し付けがましくなく、自然に子どもと話ができるにはどうしたはいいんだろうと。
あの時の記憶はもう曖昧で、もう忘れちゃったけど、谷村似のおっさんは、どんな言葉であの時の自分の言葉を引き出してくれたんだろうと、記憶を辿ってみたりする。
自分みたいな何でもない人間が子どもに諭すとこなんてできないと思ってた。
どうしたらいいんだろうと。
どうやって導いてやればいいんだろうと。
自分なんかにしてやれることがあるんだろうかと。
悩んでいた。
でも、この映画を見て、どうすればいいか、少しだけ分かった気がした。
別に諭さなくてもいいのだ。
だだ向き合って、何もできない自分が、何もできないなりに経験してきたことを伝えてやろう。
強制するものでは絶対ないし、押し付けるようなことはするべきではない。
ていうか、する必要なんてない。
きっと何かを感じて前に進む力をみんな持っているから。
そっと子どもに寄り添える大人、見守れる大人になりたい。
あの床屋の谷村似のおっさんや、この映画の店長のように。
そう思った。
何だこの感想は?