さすらい人

エンテベ空港の7日間のさすらい人のレビュー・感想・評価

エンテベ空港の7日間(2018年製作の映画)
3.0
一説では、エンテベ事件は、実はパレスチナ過激派組織PFLPに浸透したイスラエル軍諜報機関シンベトのエージェントが謀略でハイジャックを誘発させ、全世界の注目を引き付ける中で大胆な救出作戦を敢行してメディアジャック、親イスラエルへ世論誘導して米国のパレスチナ独立承認の動きを封じパレスチナ弾圧を正当化する目的の自作自演の政治ショーだったとも言われる。作戦時期もセンセーショナルな相乗効果を狙いアメリカ独立200周年1976年7月4日に重なるよう設定された。事件後、直後から出版物が相次ぎ、大スターを起用して立て続けに映像化し「イスラエル=正義、パレスチナ=悪、ユダヤ人=ホロコーストとイスラムテロの被害者」という構図を強調して植え付ける「勧善懲悪アクション」として、アメリカ人の愛国心にシンクロするよう印象操作に利用された。人質救出部隊を指揮し作戦中唯一の戦死者となったヨナタン・ネタニヤフは軍神として神格化され、後に弟のベンヤミンはその名声を利用して危機管理に強く自己犠牲を厭わないイメージとアメリカからの多額の政治献金で政界進出、イスラエル史上最長政権の首相になった。バラク元首相も特殊部隊を率いエンテベで名を挙げ首相まで昇り詰めている。私は、「エンテベ事件」は単発のハイジャック案件ではなく、後にネオコンとして表舞台に登場してくる在米の右派シオニストと諜報機関がメディアコントロールを用いて仕組んだ、大掛かりな情報戦の一環だったのではないかと考えている。イスラエルロビーはあの手この手を駆使しアメリカ政界を牛耳る強い政治力を持っているが、そうした流れを決定づけたのがこの事件だったと思う。

一方で、本作のブラジル人監督ジョゼ・パジーリャとスコットランドの劇作家で脚本を書いたグレゴリー・バークは、エンテベ事件を中立的に描き、意図的に過去作のイスラエル・プロパガンダのミリタリーアクション映画から距離を置くアプローチを採用している。ヨナタン・ネタニヤフや救出部隊は英雄として描かれず、あっけなく、むしろ厭戦的に扱われる(ネタニヤフ家の主張と異なる描写について監督は「資料と証言から史実に近い形で描いた」と説明している。私は批判派が指摘する通りヨナタンの偶像化は全くの虚構と思う)。メインはダニエル・ブリュール演じるドイツ極左テロリストのハイジャック犯で、「反ナチを政治信条とするドイツ人の自分にユダヤ人の人質が殺せるのか」という自己矛盾、戦後ドイツ人の道徳的葛藤を真っすぐに描いている。であればこそブリュールほどのドイツのトップスターがオファーを受けたわけで(過去作でもヘルムート・バーガーやクラウス・キンスキーらドイツ系大物俳優が演じている)、彼らしい純情な演技で応えている。また、劇中、パレスチナ戦士は共闘するドイツ人テロリストに「お前たちがユダヤ人にしたことで俺たちは苦しめられる」と怒りをぶつけ、さらに、交渉での解決を至上としパレスチナとの恒久和平の理想を胸に秘める、後のオスロ合意に繋がるラビン首相のハト派姿勢への共感が描かれる。ラビン首相に「戦い続ければ国民全員が囚人になるぞ」と語らせ、パレスチナ問題がイスラエルによる民族浄化の人道犯罪であることも暗に示している。本作はホロコーストとパレスチナ問題というイスラエル国家が抱え続ける被害と加害の二面性を並走させ「殺戮が殺戮を生む、人種差別の負の連鎖」の不毛さを浮き彫りにする。主戦論を張ったペレス国防相からの救出作戦成功の報告と祝辞を一蹴してラビン首相が不満げに語る「喜ばしいが、話し合いを拒否する限り紛争は終わらない」というセリフを全編の最後に持ってきて、タカ派のネタニヤフら現在のイスラエル右派政権やヨルダン川西岸地区入植政策への批判で締め括るところに本作の主張は集約されている。劇作家が書いただけあって、印象的な室内劇シーンやセリフは幾つもある。

しかしながら、本作は予算不足の粗がかなり目に付く。ロザムント・パイクは独り大女優の貫禄を発揮するが、巧すぎて浮いてしまいテレビ映画級の本作のティストにマッチしていないし、ラビン首相役にはもっと演技派か国際的に有名な俳優を起用すべきだった。エンテベ事件のようなパワフルな歴史イベントをテーマにして、それなりにビッグネームのスターも出演して、この仕上がりは不十分だ。当然イスラエル軍にAK47を持たせてはいけないし、テロリスト・人質救出部隊・政府要人のプロフェッショナリズムは十分に描けていないし、アミン大統領はコミックリリーフであってはいけない。キャストと脚本は悪くないが、映像面で細部が雑でテンポは単調、緊迫感が乏しく、戦闘シーンは破綻している。散漫で説明不足も多くバランスが悪い。本線よりも切れのあるモダンダンスの映像と音楽のインパクトに依存する演出と編集も、「結局のところ”奇跡の救出作戦”は大衆ウケする周到に振り付けられたパフォーマンスに過ぎない」「古いユダヤのこだわりを脱ぎ捨てるのをイスラエル人は恐れるな」と多義的に核心を衝いてはいるが、メッセージが伝わりにくい。ゴリゴリの親イスラエルのチャック・ノリス主演《デルタフォース》のような超好戦的タカ派アクションで楽しませる必要は全くないが、エンテベ映画ならもう少し期待に応えてくれないと困る。

企画段階では、製作者も俳優陣も、右傾化が進み「アパルトヘイト国家」と非難される近年のイスラエル、進まぬ中東和平、ユダヤ人ロビー団体の影響力に抗えない米政界と映画業界、そうした現状への問題意識を持ってるからこそ、普遍的ヒューマニズムに力点を置いた「イスラエルによるパレスチナ人迫害にも反ユダヤ主義のどちらにも加担しない、現代視点の善悪の曖昧なエンテベ映画」に意義を見出してたはずだ。しかし、そのアプローチを「親パレスチナ的」と見做され横槍が入ったのか、自主規制なのか、出来上がってみれば、ドラマのインパクトが弱く、劇中でブリュールが口にするような「大衆の意識に爆弾を落とす」までに至ってない。やはりエンテベ事件はイスラエルにとっていつまでも「建国神話を支える輝かしい英雄譚」であり続けなければならず(とりわけネタニヤフ首相個人には)、本作はそれを解体しようとする立ち位置を選択しながら、結局そこまでで、それより先に進むことが出来なかった、進ませてもらえなかった。予算獲得の面で「右派のシオニストにウケないリベラルなエンテベ映画」というのはハードルが高く圧力や妨害は相当なものだろう。ユダヤ人でハリウッド最強の政治力を持つスピルバーグですら《ミュンヘン》で親イスラエル派から強い非難を浴びた。誇張され美化されたイスラエルの愛国エピソードに挑むには、本作の製作陣はあまりに非力だった。挑んだ勇気は讃えたいし内容は良心的だが、中途半端に終わってしまったのは残念だ。
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