すがり

アイ・フィール・プリティ! 人生最高のハプニングのすがりのレビュー・感想・評価

3.6
頭ではね、分かっていることではあります。
ご都合感あふれる物語と言えばそうだと思う。
現実はそうそう甘くない。上手く行かないことの方が多いし、上手くいく人らは特別でごく一握りの者だけ。
そんな言もある。

そこでね、いつも思うんです。
というより誰でも思ってることのはずなんですよ。

本当にそうなのかなって。

その人らは特別で、自分は特別じゃない。
それは事実なのかなって、それが事実だとしてもそれならそれで良いのかよって。

もちろんそれが厳然たる事実だったという映画でアメリカンアニマルズがあります。
役者ではない実際の人たちも出てきますし、その上で彼らが少しも特別ではなかった体験を基にして君たちも特別じゃないだろうと思う、という念押しもしてきます。
私自身は自分の凡庸性を充分に理解しているつもりですし、凡庸に至ることすらもできていないだろうという意識を持って生きているので、アメリカンアニマルズでのこの言葉を投げられたときには大変に胸を打つものがありました。

しかし。しかし、でも、なんですよね。
映画が終われば、映画の中に移入していた感情や思考が自分の下に帰ってくるわけで。

だからなんだと、特別じゃないからなんなのだと。
どこからの目線で特別何だよと。
開き直ってじゃあ特別って何なんだよ、と。

アメリカンアニマルズの場合やっていることは犯罪ですから、そもそもの根っこが違うと言えばそうなのですが。
そこに当てはめたときの特別っていうのは、あくまでも他者との比較に成り立つ特別なわけです。
他者と比べて上位である、優れているという、垂直方向に生まれる差異が備わっているという意味での特別性。
それがあればこそ、希少本を盗み出し大金を得るという犯罪、その時点では困難な課題でしかないわけですが、それすらも達成せしめるだろうと。

この意味での特別性を求めるのなら確かにそれは誰しもに備わっているものではなく、ほんの一握り、一掴み、皆が皆認めざるを得ないごくごく少数の特権なのでしょう。


ここでアイフィールプリティに戻りますが。
主人公のレネーは自分が絶世の美女になれたことでコンプレックスを解消し、自信に満ち溢れた言動を取れるようになった結果あらゆる事を成し遂げていくわけです。
これはとても特別なことですが、少しも特別ではないというのがミソなんですね。

だって、成し遂げたとは言っても、その瞬間から全てを受け入れてもらえたというわけではないじゃないですか。
掴むのは結果ですが、手を伸ばさなければ掴むに至れない。
彼女はやるべきと思った事は文字通り何でもやりましたよ。
クリーニング屋であまりにも鬱陶しすぎる勘違いからめちゃくちゃなナンパもかましました。
絶対に無いと思われながらもビキニコンテストに参加しやっぱりめちゃくちゃ盛り上げました。

その時々で、容姿至上主義により前向きになったレネーの、鬱陶しさもある言動に対して付き合ってくれる周りの人々は優しいなと思わないでもないですが、どうなんでしょうね、意外と実際にもみんな優しいのかもしれません。

ただTEDでね、みたんです。
What I learned from 100 days of rejection - Jia Jiang
これです。
元はYouTubeでの動画投稿だったようで。

この映画をみたときには真っ先にこれを思い出しました。
意外と世界は冷たくないのかもしれません。
一を聞いて十を知るのは重要なことですが、木を見て森を見ないのは勿体無い。

それにこの映画で大切なのはそういう行動と、やっぱり何よりも精神力だなって思います。
クリーニング屋でのナンパの時、どれだけ相手が状況を把握しようと努めても自分から状況を作り出していってしまって、ある意味成功に辿り着いています。
コンテストだって登場時は失笑を買いながらも、それを少しも意識していないから結果ああなる。
あれはほんとそのまんまスーザン・ボイル。
いや、ダンスにしろ歌にしろ、特にスーザンの場ではそれが出来るということが肝要ではあるものの、飲み屋でのノリノリなダンスなんてのは出来るかどうかに大局を左右する力はなくて、自分が立てるかどうかなわけです。ちなみに私は立てません。

それとね、そういう行動を起こして行ったときに、こちらが認識できるかどうかは運次第の部分もありますが、まず間違いなく理解者ってのはいるんだろうなと思います。
ムーブメントの起こし方というプレゼンでもありましたが、最初のフォロワーってのはいるものなんだそうで。
コンテストの内容で言うなら店のあのおっちゃんでしょうね。
おっちゃんが言いましたでしょう、他の参加者とレネーを比べて「夜道でパンクしたときに一緒にいたいのはどっちだ」って。
私はもうこれでちょっと泣くかと思いました。

この手のフォロワーは映画では物語の分かりやすさとして会社での成功が挙げられていますが、大小に関わらず居るというのを認めてみるのも大事なんでしょうね。

……。

難しすぎるだろ。
はあーもうほんと人が上手く立ち回るための色んな考え方や習慣やら溢れまくっている世の中ですが、理屈としてはそうなんだろうなというのも理解できますし、この映画のようにきっとこういうこともまた真実に違いないのだろうとは思うわけで有りますが。

まず、己の特別性。他者との比較ではなく、自分と自分という関わりにおいて平行方向で自分は明かに特別であるということが特別ではない事実に気付いてそれを信じないといけないというのが難しすぎる。
なにがナンバーワンにならなくてもいい、元々特別なオンリーワンだよ。
ナンバーワンはその内容においてもオンリーワンだよ!


ちょっと、捻くれが出てきそうですね。
やっぱり、頭では分かっていることなんですよ。
この映画はそれを肯定してくれているので、とても楽しいですし、好きなんですが。
終わってから身体に染みてくると拒絶反応もね…出てくるよね。悔しいものね…。
これも100日間、身体に染み込ませるチャレンジとするべきだろうか。
すがり

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